65. 聖母マリアへりささげもの ――マスコミの先駆者アルベリオーネ神父

アルベリオーネ神父は、子供のころから聖母マリアに対する信心があつかったが、司祭になってからもこの信心をいっそう深めていった。たえずロザリオをつまぐり、聖母を通して、イエスにお恵みの取り次ぎを願ったり、自分のことばも行いも労苦もすべて聖母を通して神へのつぐのいや感謝のささげものにしていた。そして聖母について書いたり、説教したりして聖母への崇敬を広めた。なお聖母を使徒職の助け手としてあがめ、修道院内や使徒職の場にマリア像やマリアの絵を飾らせ、土曜日を聖母への信心の日とした。使徒職の助け手としての聖母は、「使徒の女王」と呼ばれる。この信心をどう育ててきたか、アルベリオーネ神父はこう述べている。

「使徒の女王に対する信心もまた、まず最初に神学校で植え付けられたものでだった。一九一二年から一九一五年にかけての司牧に関する講話も聖母の保護のもとに行われたし、社会学の授業も、また、新司祭たちの聖職における最初の歩みも聖母の保護のもとに置かれた。……マリアへの信心の目的は、マリアのうちに、マリアによって、私たち一人一人のうちに、“キリストが形づくられるまで”(ガラテア4・19)キリストの形成をなし遂げることである。」

アルベリオーネ神父は、ある夢の中でマリアに向かい、パウロ家は今、尊敬のしるしとして何をしたらよいか、また、歴史の現時点において、マリアはキリスト者たちにどんなプレゼントを期待しておられるかたずねてみた。マリアは恩恵に満ちた方にふさわしく、白金の光に包まれて現れた。「私は神の恵みの母です。これは、みじめな人類の現今の必要に応じるものです。マリアが現在天で果たしている、恵みの普遍的仲介者の務めを、もっとよく知らせるのが有益でしょう」との声が聞こえた。

それでアルベリオーネ神父は、マリアについてこう述べている。「マリアはイエス・キリストにおける恵みを世に与え、世々にこれを提供し続ける。……マリアは自分が立て、養成し、助け、好果と天の栄光の冠を与える使徒たちと諸使徒職を通して、キリストを与える。

……出版社は、ことばを所有しており、それをふやす紙や文字やインクをまとわせて普及する。出版社は、人間的な観点で、これらを所有し、マリアは神の観点から所有している。見えない神を人間の肉で表して、人びとに受け入れられるものとした。」

第二次世界大戦中、アルベリオーネ神父は会員たちとともに聖母マリアに向かって、「修道者や修道女、ならびに、その施設を戦火から守ってください。もし、この願いが聞き届けましたなら、必ず聖母マリアのために大聖堂を建てます」と祈った。果たしてアルベリオーネ神父の創立した諸修道会のうち、戦火にあったいくつかの修道院はあったものの、一人の戦災死亡者も出なかった。

たとえばイタリアのカリアリが猛爆撃を受け、たくさんの死傷者を出した時のことである。女子パウロ会の修道院も爆風で階段がくずれ落ち、二、三階にいたシスターたちは下に降りて避難することもできず、くずれかかった階段の踊り場に、ふるえ上って肩を寄せ合っていた。そこへ消防団員が、梯子を持ってかけつけてくれたので、いのち拾いをしたのであった。

フィリピンのリパの女子パウロ会修道院も爆撃で完全に破壊されたが、さいわい死傷者はなかった。アルベリオーネ神父は、戦争中の誓いを片時も忘れず、終戦後まもない一九四七年(昭和二二年)のはじめに、パウロ家の子らに、こう述べている。「物価がものすごく高くなった時期に建築することは不賢明かも知れない。しかし、建築しなければ、ほかのことに金を使うことも、ほかの事業を援助することもできない。このマリアのために聖堂をつくるのは、感謝と痛悔と償いとのために義務である。穴を掘れば、そこからみんなのために水が湧き出るだろう。これは必要であり、まさに身近に感じられることである」と。

こうして、いよいよ聖母マリアにささげられた「使徒の女王の大聖堂」が建てられることになり、聖パウロ家、とくに聖パウロ女子修道会の絶大な援助により数年後にはほぼ完成した。献堂式直前の一九四五年(昭和二九年)十一月三十日にアルベリオーネ神父はこう書いている。

「第二次世界大戦が始まったのは一五年前である。この大戦はものすごい数の犠牲者を出した。兵士だけでなく、無防備の一般市民にも犠牲者を出した。当時すでにパウロ家は諸国に広がり、たくさんのメンバーをかかえていた。多くの人たちは夜も昼も、いつ残虐な死に目に遭うのかと恐れおののいていた。この人たちの労苦と恐怖が私の心をしめつけた。それで私は聖母に全幅の信頼を寄せて、『おお、使徒の元后であるマリアよ、あなたのみ名をつけた聖堂を建築しようとする私たちすべての人のいのちを救いたまえ』と祈った。」

大聖堂の床の上には大理石で次のことばが色どられている。「マリアの年の終わりにあたり、恐ろしい戦争の災害をまぬがれた子らが、その誓いを果たしてこれを聖母にささげる―一九四五年十二月八日。」 ここは聖母に向かってのパウロ家の信心の中心、パウロ家の使徒職と召命促進のダイナミックな中心となるはずである。聖堂の天井に描かれている聖母のフレスコは「人類の母マリア」と名づけられた。アルベリオーネ神父は、この聖堂を巡礼の場とし、修道者、修道女になる人の増加を聖母の取り次ぎによってはかっていた。

創立者は一九四七年にこう書いている。

「この母(マリア)へのささげた一つの聖堂を建築するのは……義務である。それは池を掘ることである。その池からすべての人のために、全てのために水が出てくる。それは必要なもの、誰もが身にしみて必要と感じるものである。この聖堂で美しい祈り、典礼祭儀、聖なる秘跡、神と女王マリアへの賛美が行われるであろう!」

さらにティモテオ・ジャッカルド神父は同じ一九四七年にこう述べている。

「この聖堂は聖パウロ家の頭であり、中心である。これは本会の聖堂であり、単なる一つの教会ではない! 共同体の社会的儀式を行う教会、宣教使命をもった教会、協力者たちの教会である……。

これは母の家であり……さらにこの家から各人の上に、各人の家に、各々の町に聖母の実り豊かな祝福が降るであろう。私たち一人一人が、この聖堂をつくる、生きた、永遠の一個の石になりたいものである。」

一九四五年(昭和二九年)十一月三十日の聖堂落成式で、アルベリオーネ神父は次のことばで聖堂の目的を説明している。

「聖堂の入り口に“Suscipe nos(わたしたちを受け入れたまえ)……”ということばが石に刻まれている。ああ、私たちの母、教師、女王なる御母よ、私たちを受け入れてください。刈り入れに働き手を送ってくださるように、あなたの御子に願ってください。すべての使徒職に必要な召命、すべての修道院に必要な召命、すべての神学校に必要な召命、すべての国に必要な召命を願ってください。わけてもとくに最も緊急の、最も現代に合った、最も効果のある使徒職に必要な召命を願ってください。私たちは、あなた(聖母)に、このつつましい聖堂を、私たちの女王としての玉座を、おささげいたします。レンガの一つ一つは、あなたの子らおよび協力者たちの犠牲を表すものです。かれらの名前は(たとえ人びとにはわからなくても)哀願として、また信仰のあかしとして、あなたの足もとに置かれて帳簿にしるされています。おお、マリア、みんなを心にとめておいてください。最も大切なのは、天にかれらの名前が書きとめられることです……」と。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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