三つの試み 四旬節第1主日(ルカ4・1~13)

貪欲、名誉、権力といった誘惑。これらは私たちの周りに、いつの時代でも渦巻いているものです。そのことについて、悪魔によるイエスへの試みは、私たちに語りかけます。

まず貪欲。イエスは聖霊に満たされ、荒れ野へ導かれていきます。荒れ野は不毛の地で、空腹を最も感じる場所です。悪魔は「もしあなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」と試みます。イエスは空腹だっただけに、ものすごい試みを受けたことでしょう。それに対してイエスは、「人はパンだけで生きるのではない」(申8・3)と旧約聖書を用いながら語ります。

続いて名誉や支配についての試み。国土をローマ帝国に支配されていた時代だけに、支配することの強さを多くの人が感じ取っていたことでしょう。悪魔は世俗的な権力をむき出しにしながら、「もしあなたがわたしを拝むなら、すべてはあなたのものになる」と語ります。所有欲にも似た言葉でしょう。しかし、イエスは「あなたの神である主を礼拝し、ただ主のみに仕えよ」(申6・13)と応戦します。

さらに最後の試みとして権力。悪魔は「もしあなたが神の子なら、ここから身を投げ出しなさい」と語ります。その甘い言葉にもイエスは、「あなたの神、主を試みてはならない」(申6・16)と答えます。こうして三つの試みをイエスは乗り越えることができました。

しかし、これらの試みで終わるのではなく、「定められた時まで」とあるように、受難の時にもまた試みが訪れます。一つ目は、弟子の一人であったイスカリオテのユダの裏切りを挙げることができるでしょう。二つ目は、ペトロがイエスのことを三度「知らない」と語る場面。三つ目はオリーブ山での、「父よ、お望みなら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、み旨が行われますように」(ルカ22・42)という言葉。イエスにとっては、苦しみもだえ、血の汗が滴るほどでした。これらの試みにイエスが遭遇していても、弟子たちは眠っていました。

イエスにとって、宣教活動の初めから最後まで、試みがあったことを感じ取ると、私たちの困難な歩みも、軽く思えてくるかもしれません。

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