汚名を着せられる 年間第6主日(ルカ6・17,20~26)

今日のみことばの中で「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」(ルカ6・22)とあります。ルカ福音書には、「憎まれる」「追い出される」「ののしられる」「汚名を着せられる」といった迫害に関連する内容がよく登場します。それは、この福音書が書かれた初代キリスト者の信徒たちが数多くの迫害を受け、そのことへの励ましとして福音記者が書いたためだと考えることができます。例えば、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9・24)、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたは髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(ルカ21・17~19)など。

同様な体験として、パウロの言葉を思い起こします。「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです」(二コリ6・4~8)。

これらのことを踏まえ、2008年11月24日に長崎で列福された江戸のキリシタンである原主水を思い起こします。彼は徳川家康の小姓として仕え、やがて家康の警護にあたる走衆に抜擢されます。しかし、野尻彦太郎の妹(奥女中)と恋仲になり、追われる身となります。教会からは「密通の沙汰あり」と、家康からは「御殿に勤める女の一人をたぶらかした」と、両方から冷たく見られます。やがて捕らえられ、安倍川のほとりで足のすじ等を切られ、額には十字の焼き印が押されます。かつての栄光をすべて失い、ハンセン病者の施設に運ばれていきます。すべてを失った時、初めてキリストの本当の十字架が見えてきました。十字架上で嘲笑されるキリストの姿が目に浮かんだことでしょう。不自由な体ではあっても生涯を神にささげ、最期は札の辻で殉教します。

憎まれ、追い出され、ののしられ、汚名を着せられても、イエスとしっかりつながった多くの聖者たちを顧みることができます。

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