見失った羊 年間第24主日(ルカ15・1~32)

今日の箇所は憐れみの三つのたとえがあり、最初は「見失った羊」、次に「なくした銀貨」、最後に有名な「放蕩息子」の話になります。順番で考えていくと、神の憐れみが、最初は99対1、9対1、2対1あるいは1対1になって、だんだん狭くなり、最終的には「神さまと私」の関係に迫っていく感じです。それだけ親近感が感じられるのではないでしょうか。

その中でも「見失った羊」にスポットを当てていくと、マタイ福音書とルカ福音書とでは大きな違いがあります。マタイ福音書では九十九匹の羊を山に残しますが、ルカ福音書では荒れ野に残しています。たいした違いはないように感じますが、これにはとても大きな違いがあります。聖書の中で山と言うと聖なる場所であり、神との出会いの場です。シナイ山のことを想像すると、聖なるイメージが湧いてくるのではないでしょうか。すなわち、モーセがシナイ山に登り、そこで神との出会いを体験し、語り合います。その点で、マタイ福音書のほうは、山という聖なる場所に羊が残されたことになります。それに対してルカ福音書では羊が荒れ野に残されています。荒れ野は、野獣が住み、盗賊も頻繁に押し寄せ、危険に満ちた場所でした。しかも日中には摂氏50度くらいに上昇し、歩くには困難を要します。パウロ自身もそういう中での宣教活動で苦労した聖人です。そんな場所に大切な九十九匹の羊たちをわざわざ荒れ野に残すのも不思議に感じるのではないでしょうか。数の理念や常識で考えていくと、納得のいかないことかもしれません。でも神様のなさる業は人の思いを越えてとても偉大です。

一匹を探し当てると、大喜びで羊を自分の肩に載せて抱えていきます。離れていたものが、親の愛情によって強く抱きしめられていく情景が心に浮かぶでしょう。こうした神様の愛情を深くかみしめたいものです。

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