今日という恵みの日という種 年間第3主日(ルカ1・1〜4、4・14〜21)

「日日是好日」という言葉があります。これは、晴れの日は晴れの良い日であり、雨が続いてもまたそれも良い日であり、たとえ曇りの日、雪が降る日であってもそれぞれに良い日である。その日、その日を良い日として感じ、受け入れるということのようです。私たちが頂いている、1日は掛け替えのないおん父から頂いた「良い1日」なのだということなのでしょうね。

きょうのみことばは、ルカ福音書がどのように書かれたかということと、イエス様が宣教を始められるにあたって、どのような意図で行うのかということが書かれてある場面です。ルカ福音書が書かれたのは、西暦70年から80年にかけてと言われています。イエス様の活動は、当時のユダヤ人たちにとって大きな影響力となっていたのでしょう。イエス様の教えを聞き、癒され、助けられ、満たされた人もたくさんいたでしょうし、弟子たちから教えを受けてイエス様に惹かれ信仰に入った人もいたことでしょう。さらに、自分たちに影響を与えてくださった、イエス様について書きのこそうという人もいたようです。

ルカ福音の最初に「わたしたちの間で成し遂げられた出来事を、最初から目撃し、言葉の奉仕者となった人々がわたしたちに伝えてくれた通りに、書きつづろうと、すでに、多くの人々が手をつけました。」とあります。ルカは、ギリシャ人でしたから直接イエス様からは教えを頂いていないようです。しかし、他の弟子たち特にパウロから聞いたイエス様の教えに感銘を受けイエス様のことを書きつづろうと思ったのです。ルカだけではなく、彼の周りにもイエス様のことを書きつづろうと思った人は、何人もいたようなのですが、今、【聖書】として伝えられているのは、4つとなっています。

ルカは、イエス様のことを自分だけの心に留めておくことができず、もっとイエス様のことを知りたい、そして、知ったことを周りの人に知らせたいと思った人の1人でした。ルカ福音書と使徒言行録の冒頭に共通して「テオフィロさま」という名前が出てきます。この名前は、「神を愛する者」という意味があるようですが、私たち一人ひとりがこの「テオフィロさま」となると言ってもいいのかもしれません。私たちは、ルカがどのように私たちに宛てて福音書を書いたのかということをこのルカ福音書の冒頭から黙想できるのではないでしょうか。

さて、イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、さらに聖霊によって荒れ野に導かれ悪魔の試みを受けます。その後再び、聖霊に満たされてガリラヤに帰られます。イエス様が洗礼を受けられ、悪魔の試みに遭われた場所は、エリコだと言われています。そこからガリラヤまでの間にヨハネ福音書では、弟子たちを選ばれたように書かれてありますが、ルカ福音書では、もうしばらくして弟子たちを選ばれています(ルカ5・1〜11)。イエス様は、最初の宣教の場所として選ばれたのは、【会堂】でした。会堂はユダヤ人たちにとって祈りの場、学びの場、様々な宗教行事の場であり、さらに生活の中心の場でした。イエス様は、その会堂で人々に教えられ、病を癒したり、悪霊を追い出したりされていたのでしょう。みことばには、「すべての人々からたたえられた」とあります。

イエス様は、ガリラヤでの宣教の後故郷のナザレに行かれ、安息日に会堂に入られます。そして、朗読しようと立たれると、預言者イザヤの書が手渡されます。不思議なことに、イエス様がご自分でイザヤ書を選ばれたのではなく別の人から【手渡されたのです】。一見偶然に見えますがその中に、イエス様がこれから宣教される内容が書かれてあったのです。もしかすると、聖霊が人を介してイエス様にイザヤ書を手渡したのかもしれません。イエス様は「主の霊がわたしの上におられ、貧しい人に福音を伝えるために、主がわたしに油を注がれたからである。」と読み始められ「主の恵みの年を告げ知らせるためである」と結ばれます。その間には、「捕らわれ人に解放」「目の見えない人に視力の回復」「抑圧されている人に自由」を与えるためということが書かれてあります。

イエス様は、このイザヤ書を朗読された後に、席にお着きになられ「この聖書の言葉は、あなた方が耳にしたこの日、成就した」と話し始められます。イエス様は、ご自分が「主から油を注がれた者(メシア)」として遣わされたことを宣言され、貧しい人、抑圧された人、囚われた人、目の見えない人たちを癒すために遣わされたと話されたのです。イエス様は、私たちが生活の中で「『ねばらない』という思い込み」や様々な「しがらみ」「時間的制約」そして「エゴからくる苦しみ」など知らず知らずに自分を縛っている環境などから解放してくださり、また「先への不安」や「目の前にある恵み」に気がつかない「目」に視力の回復を与えるために来られたということを言われているのではないでしょうか。そして、締めくくりとして自分が来たその時、私たちがイエス様に出会ったその日こそが【主の恵みの年】と教えられているような気がいたします。

私たちは、今受けている「今日」という日に感謝してイエス様と共に歩むことができたらいいですね。

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