断捨離という種 年間第23主日(ルカ14・25〜33)

少し前に「断捨離」(だんしゃり)という言葉を耳にすることがありました。これは、「断行」(だんぎょう)「捨行」(しゃぎょう)「離行」(りぎょう)というヨーガの行(ぎょう)が合わさった言葉のようです。「段行」は、「入って来るいらないものを断つこと」、「捨行」は、「家にずっとあるいらないものを捨てること」、「離行」は、「物への執着から離れる」ということのようです。

きょうのみことばは、イエス様がご自分について来た人々に対して、「弟子になるため」の心得を伝える場面です。人々は、イエス様をローマや一部のユダヤ人指導者からの圧政からの苦しみから解放してくれる、「救い主」(メシア)だと思ってついて来たのでした。そんな彼らに対して、イエス様は「わたしのもとに来ても、自分の父や母、妻や子、兄弟や姉妹、さらに自分の命までも憎まない者は、誰もわたしの弟子になることはできない。」と言われます。イエス様は、愛のお方ですから、「家族を憎まないように」と言われるということが本当ですし、申命記にも「おまえの父と母を敬え」(申命記5・16)と書かれてあります。イエス様がここで言われる「憎まない者」と言われるのは、「イエス様を愛する以上に家族や自分を愛する者」ということのようです。

イエス様は、律法の専門家の「隣人をあなた自身のように愛せよ」(ルカ10・27)という答えに対して、「あなたの答えは正しい」と言われるくらいに【愛する】ということを大切な教えとして人々に伝えていました。イエス様が言われる「自分の命までも憎まない者」ということは、自分を愛するあまりに、周りの人を愛せないことへの傾きを指摘しているのではないでしょか。イエス様は、「隣人の中にいる【ご自身】を愛すること」と言われているのかもしれません。

イエス様は、人々に対して「塔を建てる人」と「戦争に向かう王」という2つの譬え話を話されます。この2つの譬え話の中には、【まず座って】という共通する言葉があります。最初の「塔を建てる人」の喩えは、まず座って「塔を建てる」ために必要な経費があるかどうかを計算する、という内容です。今でもそうですが、家を建てる、家を買うというのは、自分たちの予算にあうか、ローンを組んで何年後には、支払うことができるかなどを計算し、自分たちの出費を抑え、切り詰めなければならないことも出てきます。

また、他国との戦争をしようとしている王の喩えは、敵の2万の兵に対して、自国の1万の兵で勝てるかどうかを考えます。そして、もし勝てないと分かれば、使者を遣わして「和を講じる」ことを選びます。この「和を講じる」というのは、無条件で降伏をするという意味のようです。さて、この2つの喩えの中にある【まず座って】という言葉は、ただ目の前の問題に対して熟考することだけではないようです。イエス様は、「それと同じように、一切の持ち物を捨てる者でなければ、あなた方は誰も、わたしの弟子になることはできない」と言われます。イエス様が言われる【まず座って】ということは、「今まで行っていたことを脇において、塔を建てること、戦争をすることにだけ集中しなさい」ということのようです。イエス様は、ご自分の弟子になるためには、「『一切の物を捨てる』こと『自分の十字架を担う』という覚悟がいりますよ」と言われているのではないでしょうか。

確かに、「一切の物を捨てる」ことも、「自分の十字架を担う」ことも犠牲を伴うことです。イエス様は、私たちに「『何が大切なことか、何を優先させるべきか』ということを【座って】考える」ことの大切さを気づかせておられるのではないでしょうか。イエス様は、ご自分の弟子になるためには、余分な物を捨てて、「愛することだけで十分ですよ」と言われているのかもしれません。パウロが伝えているように「キリストは神の身でありながら、神としてのあり方に固執しようとはせず、かえって自分をむなしくして、人間と同じようになられた。」(フィリピ2・6)とあるように、イエス様は、私たちを愛するために、ご自身が「神の子ということすら」捨てられたお方です。また、パウロ自身も、「わたしは、すべての人に対して自由であるにもかかわらず、自ら進んですべての人に仕える奴隷となりました。……すべての人に対してすべてとなったのです。」(1コリント9・19〜22)と言っています。パウロは、福音を伝えるため、イエス様の弟子として奴隷となる覚悟を持っていたのです。そのためには、「自我」を持っていたらうまくイエス様を愛することができません。まず、私たちは、私たちの中にある見栄や貪欲な傾きを捨てることから初めていってはいかがでしょうか。私たちは、物質的だけではなく、心の中の【断捨離】をすることもいいのかもしれません。イエス様は、余分な物が無くなった私たちの心の中に、ご自分の【いつくしみの愛】を満たしてくださることでしょう。私たちは、「イエス様への愛と自分の十字架だけを持つ」ことができたらいいですね。

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