日本205福者殉教者

今回は、9月10日に祝われる日本205福者殉教者を取り上げることにしましょう。日本で殉教した人としては、パウロ三木をはじめとする26聖人が有名ですが、この26人が捕らえられ、長崎の西坂で殉教したころは、キリスト教に対する弾圧が始まっていたとはいえ、まだまだそれは部分的なものでした。実際に、キリシタン大名もいましたし、地域によってはキリスト教を黙認する大名もいました。しかし、徳川家が政権を掌握すると、弾圧は組織的で徹底したものとなっていきました。ついに幕府は、宣教師や指導的人物を国外に追放し、一方で国内に残された信者に対しては、宗門改めや連座制などを定めました。キリスト教に好意的であった大名も、幕府のこのような姿勢に、信者への弾圧を徹底せざるをえませんでした。それにもかかわらず、いく人もの宣教師が日本にとどまり、厳しい監視の目をぬうように、信者の世話に励みました。日本人信者の中にも、命を賭して彼らを助ける人々がいました。また、捕らえられて拷問を受け、棄教を迫られても、多くの人は屈することなく、最後まで信仰を貫き通しました。

205福者殉教者は、こうした時代に殉教した数え切れないキリスト者を代表する形で、1867年に教皇ピオ9世によって列福されました。9月10日は、205人の殉教者だけを記念するのではなく、この時代の日本の聖なる殉教者すべてを記念する日とされたのです。

205人の中には、26聖人と同じ長崎の西坂で殉教したセバスチアノ木村神父(1622年)、アントニオ石田神父(1632年没)、江戸の札の辻(品川宿の近く)で殉教したデ・アンジェリス神父、ガルベス神父(1623年)、仙台で殉教したディエゴ神父(1624年)などがいます。ここでは殉教の地だけを記しておきましたが、必要とされれば、彼らは日本中を駆け巡って兄弟たちへの奉仕に努めました。ちなみに、1623年に上述した2人と共に江戸で殉教した人の数は50人に上り、「江戸の大迫害」と呼ばれています。また、このときに殉教した江戸の教会の指導者の一人ヨハネ原主水は、今年の11月24日に列福される188人の殉教者の一人です。

殉教者たちの多くに共通している点、それはキリストへの信仰を生きることと、兄弟であるキリスト者たちへの奉仕に生きること(さらには、キリスト者となるよう神が招いてくださっているすべての人たちへの奉仕に生きること)とが、彼らの中でまったく一つのものであったという点です。たとえば、彼らの中には、国外への追放令が出されたとき、キリストへの信仰が許されている国で生きていく道を選ぶことのできた人もいます。ひっそりと隠れて自分の信仰を生きるという道もあったでしょう(それすら次第に難しくなっていくのですが)。しかし、彼らは危険を覚悟のうえで、ほかのキリスト者たちのために活動していくのです。彼らにとって、キリストを生きることは、ほかのキリスト者のために命をささげることだったのです。キリストへの信仰が、必然的に彼らを人々への奉仕、しかも命をかけた奉仕に駆り立てていったのです。今日、信仰を個人のプライベートな世界に限定しようとし、ほかの人に干渉するのをよしとしない風潮をもった社会の中で、この殉教者たちの信仰理解と生き方は、わたしたちに大きな問いを投げかけているように思います。

この点を深めるためにも、パウロが自分の生と死について述べている部分を今回は読むことにします(フィリピ1・12-26)。この手紙を書いたとき、パウロは捕らえられ獄中にいました。明日にでも死刑を宣告されるかもしれない状況です。パウロが「死」について語るとき、一般的な教えを述べているのではなく、現実に起こるであろう切迫したこととして述べているのです。

このパウロが、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(20節)と言います。自分がどのような状態に追い込まれるにせよ、キリストが告げ知らされ、人々が信仰を生きるようになることが望みであることを表明するのです。そして、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(21節)と宣言します。なぜ、死ぬことが利益なのかというと、死ぬことによって、完全に「キリストと共にいる」(23節)ことになるからです。それは、パウロの「熱望」であり、「はるかに望ましい」ことなのです(同)。

しかし、一方では、死はフィリピのキリスト者をはじめ、多くの人のために、パウロが働けなくなることを意味します。逆に、「生き続ければ、実り多い働きができ」(22節)る、つまりキリストを宣べ伝え、多くの実りを結ぶことができます。だから、その方が「あなたがたのためにもっと必要」(24節)なのです。こうして、パウロは「この二つのことの間で板挟みの状態」(23節)にあると言います。死ぬことと生きることの間、「パウロ自身のため」と「人々のため」との間で、「どちらを選ぶべきか、分からない」(22節)でいるのです。

ところが、これに続くパウロの言葉は明確です。「こう確信していますから、……いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう」(25節)。この言葉には、もはや迷いは感じられません。当然、生きることを選ぶと言っているのです。パウロにとっては、自分のためよりもほかの人々のために生きることが大切であり、キリストと共にいることよりもキリスト者のために宣教と司牧に身をささげることのほうが大切なのです。いや、キリストと共にいる場は、パウロにとって、キリスト者のために尽くすということなのです。それは、冒頭で「わたしにとって、生きるとはキリスト」(21節)であると述べていることからも明らかです。パウロにとっては、生きて、人々のために「実り多い働き」を行うことこそ、キリストと共にいることであり、キリストそのものなのです。

殉教者もこのような信仰を生きました。彼らは、最終的に、死をもって信仰を証ししましたが、しかし、死ぬことを望んだわけではありません。むしろ、どんな苦難の中にあっても、人々への奉仕のために生き続けることを望んだのです。それこそが、キリストを生きることであると確信していたからです。

それでは、彼らの殉教は、実際に人々のためになったのでしょうか。歴史的には、彼らの死後、長い弾圧の時代が続きます。しかし、彼らが命をかけて成し遂げた教会への奉仕と信仰の証しは、教会と信者たちに苦難の時代を生き抜く堅固な組織と熱意を与えました。こうして250年にわたる、歴史上まれに見る弾圧の時代にあって、人々はその信仰を伝え続けたのです。彼らの子孫が、長崎でプチジャン神父にその守り抜いた信仰を表明したのは、1865年3月17日、26聖人殉教者の列聖から3年後、205人の殉教者が列福される2年前のことでした。そして、この信仰は、今のわたしたちにもつながっているのです。

ペトロ岐部と187人の殉教者の列福を前にして、彼らが人々のために守り伝えた信仰のゆえに神に感謝すると同時に、わたしたちも彼らの生き方に学び、ゆるぎない信仰をもって人々への奉仕に尽くす決意を新たにできればと思います。

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