聖トマス西と15殉教者

聖トマス西と15殉教者は9月28日に祝われます。この祝日名は、日本の典礼暦に固有のもので、日本以外では「聖ロレンソ・ルイスと同志殉教者」の名で呼ばれます。これは、聖ロレンソ・ルイスがフィリピン人の中で初めて列聖された人物であるという理由によります(ロレンソは、中国人を父に、フィリピン人を母に持ち、当時のスペイン支配下のフィリピンで生まれました)。しかし、この16人は日本で殉教した聖人であり、その中に多くの日本人がいることから、わたしたちは日本人司祭トマス西の名をもって、彼らを日本の聖なる殉教者として記念するのです。

さて、16世紀半ば(1549年)、聖フランシスコ・ザビエルによって始められた、日本における福音宣教の歩みは、当初の成功の後、50年もしないうちに重大な危機にぶつかります。キリシタンの禁制とそれに並行して行われた迫害です。教会指導者たちの懸命の努力にもかかわらず、17世紀になり、徳川家が支配する時代になって、迫害は、統治者の機嫌や経済政策と結びついたものから、より大規模で徹底したものへと変わっていきます。宣教師は追放され、入国を厳しく管理され、全国で厳しい探索が行われます。ある人々は捕まって拷問を受け、ある人々は山地などに逃げて過酷な潜伏生活を送ります。摘発や拷問の方法も、より巧妙に、より残虐になっていきました。その中で数え切れないほどたくさんのキリスト者が殉教していきます。

聖トマス西と15人の殉教者は、1633年から1637年に殉教したドミニコ会の司祭、修道者、および彼らとかかわりのあった信徒たちです。9名の日本人のほかには、スペイン人、イタリア人、フランス人、フィリピン人がいます。殉教した経緯や年代、場所もさまざまです。

ドミニコ会が、アジア宣教に力を入れ始めたのは、16世紀の終わりごろからです。1587年に、フィリピンにロザリオ管区を設立し、マニラを拠点として宣教を始めます。ドミニコ会による日本での宣教は、1602年、鹿児島から始まりました。数年後には、九州各地に広まり、京都や大阪にも修道院が建てられました。しかし、ちょうどこのころ、各地でキリスト教に対する迫害がひどくなっていきます。

宣教師の渡航は、1614年に追放令が出された後も、しばらくはマニラとの交易船を利用して行われていましたが、日本国内で大規模な殉教が行われ、1623年にはマニラとの交易が禁止されるに及んで、困難を極めるようになります。貿易再開を望んだマニラ当局も、宣教師の日本渡航を厳しく禁じました。しかし、現実的には入国が不可能と思える状況の中にあっても、日本の教会の窮状を前にした、ドミニコ会は(ほかの修道会もそうでしたが)さまざまな方法を用いて、しかも優秀な宣教師を送る努力を続けたのです。多くの場合、このような人たちは日本に行き着くことができなかったり、たとえ日本に到着しても、上陸できなかったり、その場で捕らえられ、殺されたりしました。それでも、彼らは、日本の教会が表面的に壊滅するまで(実際には、潜伏キリシタンが信仰を保ち続けるのですが)、この努力を続けたのです。

その典型的な例が、16人のうちで最後に殉教したロレンソ・ルイスを含む6名と言えるでしょう。彼らは、アントニオ・ゴンサレス神父を責任者として、自前の船を造り、日本への密航を模索します。結局は、1637年に入国するも、その時点で6名とも捕らえられ、厳しい拷問を受け、棄教と情報提供を迫られます。拷問は、水責め(たらいの水を何倍も飲ませたうえで、腹部に重石を強く乗せて、水と血を目・鼻・耳などから一気に噴き出させるというもの)、指と爪の間に焼き串を差し込む責めなどが行われました。このころは殺すことよりも、情報を密告させることに主眼が置かれていたため、拷問は延々と続けられました。最後には数日間、穴づり(頭を下にして上から紐で穴の中につるす責め)にされたうえで、彼らは神にいのちをささげました。

このような殉教者たちの生涯を見つめるとき、わたしたちには、いくつかの疑問がわくのをおさえることができません。なぜ、神はこのような状況をそのままにしておかれるのか。なぜ、神は信者の側に立って、その全能の力をもって戦ってくださらないのか。日本の信者を助けるために、宣教師たちは苦労して日本に渡航したのに、上陸もできずに捕らえられ、殺されてしまったのでは、当初の目的がまったく果たされていないではないか。彼らの行為は無駄だったのか。……疑問は尽きることがありません。

その意味で、ヨハネ福音書12章24−26節(この日を荘厳に祝うときのために定められた福音個所)は、わたしたちに答えを与えてくれるように思います。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のまま残る。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)。一粒の麦は小さなものです。麦を一粒食べたからといって、人は腹を満たすことはできません。しかし、この種が「死ねば」(つまり、死んで、地中に埋められれば)、あれだけ小さかった粒から、芽が出て成長し、多くの実を結びます。このような自然の神秘を、イエスは人のいのちにも当てはめます。自分のいのちを愛し、自分のためだけにとっておこうとするとき、人はいのちの持つ輝きを生かすことはできません(いのちを「失う」)。しかし、神のため、ほかの人のために自分のいのちを捨てる人は、永遠のいのちを実現するのです。

この比ゆは、まずイエスご自身に当てはめられたものです。イエスは、神のみ心にしたがい、人々のために、十字架上でみずからのいのちを捨てます。それは、これ以上は考えられないような屈辱、苦難をもたらします。敵対者が勝利したように思われます。これまでのイエスの宣教活動が無駄に終わったように感じられます。しかし、神にとっては、それは永遠の勝利であり、真の救いでした。これを信じる者にとっては、神のため、人のためにいのちをささげる「十字架」の生き方こそ、神の力であり、永遠の実りをもたらすものなのです。

あの17世紀の日本で、この神秘を受け入れ、信じていたのは、実際に殉教者たちだけではありません。彼らのまわりには、多くの信徒たちがいて、彼らを助け、支えていました。そもそも16人の殉教者たちの記録が残っているという事実が、迫害下の危険を冒してまでも、このことを報告した人たち(あるいは、彼ら自身の手紙を持っていった人たち)がいたことを示しています。キリスト者は、「殉教」の神秘、「十字架」の神秘にかけがえのない価値を見いだし、それぞれの場で、これを受け入れ、生きていったのです。

わたしたちは、現代の社会の中で、ともすると「実利的」な価値判断に影響されているのかもしれません。目に見える形での実りを成功と考え、そうでないときに失敗と考えてしまう価値観です。このような価値観の中では、十字架や殉教、それに基づく生き方は意味がないように感じられます。殉教者の模範、それは、わたしたちが表面的な成功を求めるのでなく、たとえ実りがないように見えても、神のため、他人のために自分をささげて生きることこそ、救いであると信じ、そのように証しするよう招いているのだと思います。

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