聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士

教会は、9月13日に聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士を記念します。この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオキアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったようです。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されました。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるようになりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。

さて、その後、397年にコンスタンティノープルの司教が亡くなり、後継司教が選ばれることになりました。コンスタンティノープルは、4世紀半ばにコンスタンティヌス帝が宮廷を移し、自らこの町に移り住むようになってから、急速に重要度を増していました。町の重要性に比例して、コンスタンティノープルの司教の重要度も増していました。同時に、この町の司教には、政治との複雑で困難な関わりが要求されるようになっていました。統治者の側からすれば、宗教的に自分たちのことを支え、協力してくれる司教が望ましく、その一方で司教の側からすれば、信仰への忠実さから、ときには権力者たちから疎まれることも言わねばなりませんでしたが、だからと言って政治と宗教の指導者が対立している状況は市民にとって好ましいものではありませんでした。こうした複雑な状況が絡まる中で、ヨハネは398年にコンスタンティノープルの司教となったのです。

ヨハネは、権力者に迎合する人物ではありませんでした。宮廷の中で当たり前となっていた道徳的退廃、貧しい人を搾取する社会的不正、このような状況を黙認する宮廷寄りの司祭、説教者たちのあり方に対して、その非を正面から取り上げ、信仰への忠実さを訴えました。このような姿勢は、民衆の大きな支持を得る反面、ときの権力者たちとの激しい衝突を引き起こしました。特に、当時の実質的な権力者であった宦官エウトロピオスや皇后エウドクシアとの対立は激しく、教会内でヨハネと対立していた聖職者たちをも巻き込んで、ヨハネに対する告発やその司教座剥奪へと発展していきました。その結果、ヨハネは二度にわたってコンスタンティノープルを追放されました(402年、404年)。二度目の追放は、ヨハネが司教として洗礼の秘跡を授けているときに、軍隊が教会を占領し、秘跡を中断するという形でなされました。遠くアルメニアに追放されたヨハネは、407年にはさらに黒海の東岸の町ピテュスへ移ることを余儀なくされました。しかし、ヨハネは目的地にたどり着くことなく、途中のコマナという町で亡くなりました。407年9月14日のことでした。

司教座を剥奪され、追放されて亡くなったヨハネでしたが、彼に反対した人々も次第にヨハネの正しさを認めざるを得なくなり、438年には彼の遺体は群衆の歓喜のうちにコンスタンティノープルへと運ばれました。そして、ときの皇帝テオドシオス2世が、ヨハネを迫害した一族・関係者の罪を公に認め、ゆるしを願ったのです。

さて、聖ヨハネ・クリゾストモを荘厳に祝うミサでは、マルコ4・1‐10、13‐20あるいは短い形のマルコ4・1‐9が朗読されます。種を蒔く人のたとえとイエスによる説明を記した箇所ですが、短い朗読の場合、種を蒔く人のたとえだけが読まれます。ここでは、短い朗読を取り上げ、たとえそのものに集中することにしましょう。

種を蒔く人のたとえは、四つの場所に落ちた種について、その結末を淡々と述べていきます。最初の種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまいます。次の種は、土の浅い土地に落ちます。今度は芽を出しますが、太陽に照らされると焼けて枯れてしまいます。次の種は茨の中に落ちます。しかし、茨にふさがれて実を結ぶことはできません。本来、種を蒔くのは、それが実りをもたらすためです。にもかかわらず、ここまでの種はどれも実を結ぶにはいたりません。三番目の種の結末までを耳にした読者は、次のように考えることでしょう。はたして実を結ぶ種はあるのだろうか。すべてがだめなのではないだろうか。ところが、たとえの結末はこの考えを根底から覆します。最後の種は良い土地に落ちて、実を結びます。しかも、ただ実を結ぶだけでなく、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍もの実を結ぶのです。

人間的に考えれば、良い結果が望めない状況、すべてが無駄に終わってしまう状況に見えても、実はそうではなく、わたしたちの想像をはるかに超えるような実りがもたらされるということ、それが神の国だと、このたとえは教えているわけです。ヨハネ・クリゾストモの働きは、彼が生きている間は、必ずしも実を結んだようには見えませんでした。彼の熱意とすばらしい説教も、社会の権力争いや、不正、怠惰などに阻まれてしまい、ヨハネ自身が、追放されて、旅の途中で亡くなってしまいます。すべては徒労に終わったかのようにしか思えない結末でした。しかし、神の力は人間の思いを超えて働いていたということが、彼の死後、次第に明らかになっていきます(それが、遺体のコンスタンティノープル凱旋だったと言えるでしょう)。たとえ目に見える状況が悲観的に見えても、自分の生きている間に実が結ばなくとも、神が必ず働いておられ、しかるべきときにその実りを結んでくださることに希望を置き、ひたすら神に忠実に生き続けること、まさにそれがヨハネ・クリゾストモの生き方だったように思います。そのような生き方を、神はその人たちの希望をもはるかに超える形で報いてくださるのです。

わたしたちの生活も、必ずしもうまく行っているようには思えないことがあります。それどころか、すべてが無駄になっているように感じられることもあります。しかし、そのようなときにこそ、神の国の力強さに信頼し、聖ヨハネ・クリゾストモのように妥協することなく、神に忠実に生きる恵みを願いたいと思います。

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