聖コルネリオ教皇 聖チプリアノ司教殉教者

教会は、9月16日に同時代に生きた二人の聖人を祝います。一人は聖コルネリオです。コルネリオは、251年にローマの司教(教皇)に選ばれましたが、迫害によってローマから追放され、253年にローマに近い町チビタヴェッキアで亡くなりました。

もう一人は、聖チプリアノです。チプリアノは249年に北アフリカのカルタゴの司教に選ばれ、自らの教区を導いただけにとどまらず、アフリカ全体の教会や他の地域の教会のためにも尽力しました。打ち続く迫害の中にありながらも、司教としての務めを果たしていましたが、258年に殉教しました。

皇帝の政策にも影響されて、激しい迫害の時期と比較的平穏な時期が存在したこの時期には、教会にとっていくつかの大きな問題が見られました。

まずは、牧者である司教が迫害に対してどのように行動すればよいかという問題です。キリストの教えを公言し、すぐにでも殉教することを選ぶか、それとも迫害の時期にはより安全な場所に避難し、信者を導くという牧者の務めを続けるか……。コルネリオは、教皇になって、早くに追放され、亡くなりましたが、チプリアノは数回にわたって「避難」しました。この行為を、殉教を恐れた逃避と捉える人々もいて、チプリアノは自らの姿勢について弁明をしなければならなかったようです。そのチプリアノも、司教になってから10年も経たないうちに殉教しました。

しかし、この時代の最大の問題は、いわゆる「棄教者」のゆるしについての問題でした。激しい迫害の中で、やむをえず信仰を否定する人々がいました。しかし、迫害が去り、より平穏な時代になると、信仰を捨てたくて捨てたわけでない人々は、もう一度、教会に戻りたいと願い出るようになりました。教会は、この人たちのゆるしを認めるかどうかで、真っ二つに割れていました。

コルネリオは、彼らのゆるしを認めるべきだと主張していました(もちろん、その真意を確かめるべく、また罪の償いのためにも、厳しい悔い改めの期間を必要とはしましたが)。一方で、ノバチアヌスという司祭は、一度信仰を捨てた人々のゆるしを決して認めるべきではないと主張しました。そして、この主張に同調する人たちの支援を受けて、自らをローマ司教としました(対立教皇)。ローマの教会の分裂は、他の教会をも巻き込んでいきました。この時、コルネリオの主張を強く支持し、他の人々を説得したのが、チプリアノでした。

さて、このノバチアヌスによる教会分裂は、後にもう一つの問題を引き起こしました。分裂した教会で洗礼を受けた人が、正統の教会の一員となることを願った場合、再度、洗礼を受ける必要があるかどうかという問題です。チプリアノは、洗礼の必要があると主張しましたが、コルネリオの2代後の教皇ステファノは古来の伝統に基づき、分裂した教会においてであっても、イエス・キリストの名によって洗礼を受けたのであれば、それは有効であって、正統の教会に入るためには按手をすれば十分であると主張しました。この問題は、ノバチアヌスの時のように教会の分裂を引き起こすことはありませんでしたが、両者が亡くなるまで意見の対立は解消しませんでした。

ところで、聖コルネリオと聖チプリアノを盛大に祝う場合、ミサではヨハネ福音書17章11b−19節を朗読することになっています。この箇所は、いわゆる最後の晩さんの後、受難に向かう前のイエスが御父にささげた祈りの形をとっています。

イエスは、御父に弟子たち(=教会)を守るように願います。「守る」とは、弟子たちを一つにするということです。しかも、この一致は「わたしたちのように」、つまり御父とイエスの一致と同じものであると言われています(11節)。しかし、それは現実から離れたところでではなく、現実の中でこそ実現されるべき一致です。イエスは、「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく……」と祈っています(15 節)。イエスは世に属していませんが(14節、16節)、御父から世に遣わされました(18節)。同じように、弟子たちも世に属していませんが(14節、 16節)、イエスから世に遣わされています(18節)。

つまり、イエスは教会の一致を心から願っていますが、その一致はこの世の具体的現実の中で実現されるべきものなのです。もちろん、教会は世に属していませんから、世の原理に解消してしまってはならず、イエスという「真理」、み言葉の真理に基づく一致、御父と御子の一致を実現していくように招かれているのですが(17節、19節)。

コルネリオとチプリアノは教会の一致を強く望んでいました。特に、チプリアノは、ローマを中心とする一致を認めていました。しかし、その一致は、一方ではイエスの教え、真理に基づくものでなければならず、その一方で現実の諸問題に応えうるものでなければならないので、彼らはこれをさまざまな困難の中にありながらも、忍耐強い対話を通して、また必要な時には堅固さをもって模索していきました。ローマとの一致をあれだけ強く求めていたチプリアノが教皇ステファノとの対話で、自分の主張を曲げなかったことは象徴的です。

一致とは、決して安易に実現できるものではありません。また、すべての人に善意があれば実現できるものでもありません。一致の中心には、必ず三位一体の神がいなければなりません。一致は真理に基づくものでなければなりません。しかし、現実は常に新しい問題を投げかけてきます。また、それぞれの地域、現実に違いがあるのも事実です。その中で恐れることなく、また独善に陥ることなく、信仰のうちに真の一致を模索していく一貫した姿勢を、この二人の聖人から学びたいと思います。

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