狭い門から入るという種 年間第21主日(ルカ13・22〜30)

オリンピックを目指す選手は、大会に向けて体や技、心を鍛えています。そして、その結果として自己ベストを獲得したり、メダルを手に入れたりするのです。もちろん彼らの目指すものは、金メダルでしょうが、そのためには、人の何倍、何十倍、何百倍もの努力と鍛錬が必要となって来ることと思います。スポーツ選手に限らず、一つのことを極めようとして頂点を目指す人は、人一倍の努力と鍛錬を怠ることなく日々精進をしているのではないでしょうか。そして、私たちは、「朽ちない冠(1コリント9・25)」を得るために、人に対して優しくするとか、小さい人に声をかけるとか、小さな愛に気を配ることを目指すということも大切な目標となることでしょう。

きょうのみことばは、イエス様が人々に「狭い門から入るように努めなさい。」と言われる場面です。イエス様と弟子たちは、エルサレム(受難)を目指して旅を続けていました。そのとき、ある人がイエス様に「主よ、救われる人は少ないのでしょうか」と尋ねます。前にも1人の律法の専門家がイエス様に、「どうすれば、永遠の命を得ることができますか」(ルカ10・25)と尋ねる場面が出てきましたが、「救い」への関心は、ファリサイ派の人や律法学者に限らず富裕層の中でも関心があったのでしょう。彼らは、今日生きるために必死に働く必要がなく、生活するために困ることがないために、「救いを得るため」のことや「永遠の命」に入ることを考えることができる余裕があったのでした。

イエス様は、質問をしに来たその人だけではなく、イエス様の教えを聞くためについて来た人々に対して「狭い門から入るように努めなさい。あなた方に言っておく。多くの人は、入ろうとしても入れないからである。」とお話しになられます。「狭い門」と言う時に茶室に入る時に用いられる躙口(にじりぐち)を思い出します。躙口から入ることによって、武士も商人も誰であっても身分の差がなく平等になるということを意味しているようです。また、「狭い門」というと、通用門というイメージが浮かんできます。この二つに共通することは、謙遜だと思うのです。

さて、イエス様が人々に伝えようとしていることもこの【謙遜】ということなのではないでしょうか。もし、「大きな門」でしたら大勢の人が一度に入ることができます。しかし、1人が通るのにやっとですと、順番を待ったり、相手を先に譲ったりするなど、相手を思う気持が働いてきます。この気持が起こるとき、【謙遜】な気持や【いつくしみ】の気持が表れるのではないでしょうか。私たちは、往々にして「目立ちたい」「有名になりたい」または、「楽をしたい」という気持を優先させる傾きがあります。そのような気持の時には、相手のことよりも自分の幸せ、自分の時間というように大切にする、【利己的】な考えしか頭にありません。

イエス様は、「狭い門から入るように努めなさい」と言われていますが、この【努める】というのは、パウロが「すべての競技者は何事にも節制します。……わたしは自分の体を打ちのめし、それを奴隷のように引き回します。」(1コリント9・25〜27)や「わたしは善い戦いを戦い、走るべき道程を走り終え、信仰を守り抜きました。」(2テモテ4・7)と伝えているように、「節制」と「鍛錬」という意味のようです。ヘブライ書では、「『わが子よ、主の訓練を軽んじるな。主に責められる時、力を落とすな。主は、愛する者を訓練し、子として受け入れるすべての者を鞭打たれる』。……後になると、この訓練は、それによって鍛えられた人々に、義と平和の実をもたらします。」(ヘブライ12・5〜11)ともあります。イエス様が、「狭い門から入るように【努めなさい】」ということは、謙遜な心を持って、自分の努力だけではなく、おん父の愛によって訓練されることで初めて、「救われる」ということを私たちに教えてくださっているのではないでしょうか。

さらに、イエス様は、「家の主人」と「閉め出された人々」の喩えを話されます。特に注目したいことは、「閉め出された人々」が主人に言った「わたしたちは、あなたと一緒に食べたり飲んだりしました。また、大通りでわたしたちに教えてくださいました。」という言葉に、対して「お前たちが何者か知らない。悪を行う者たち、一人残らず、わたしのもとから去れ」と言った言葉です。この言葉は、もし、私たちがミサに与って、それが生活に生きていないとしたら、私たちにもイエス様は、同じような言葉を言われるかもしれません。イエス様は、「後の者で先になる者もあり、先の者で後になる者もある」と言われます。きょうのみことばを通して、「救われる」ためには、【謙遜】な気持と相手を思いやる【いつくしみの愛】を自分の力ではなく、おん父のお恵みによって生活の中で生かすことができるように、【努めて行く】ことの大切さを心に留めながら歩んで行くことができたらいいですね。

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