私を早く見つけ出して!

いたずらをしたお仕置きとして、父親に車から降ろされて山の中に置き去りにされた北海道の6歳の男の子が、その数分後に父親が現場に戻ってみるといなくなっていて行方不明になり、大がかりな懸命の捜索にもかかわらず、何の足掛かりもなく発見されないまま数日が過ぎて行ったというのは、もう一か月以上も前のことです。その報道をマスコミによって知らされた多くの人々は、無事でいてくれと祈るような気持ちの一方で、熊にでも襲われたのではないかとか、罪のない子供がまた大人の欲望の餌食にされたのではないかという事件性を予感して恐れていたのではないかと思います。
ところが行方不明となってから7日目の朝、普段は使われていない自衛隊の施設の中で発見されたという知らせがあり、しかも無事な姿で発見されたということで、奇跡的な出来事として国外にまで報道されたようでした。心配して状況を見守っていた人々は、ほんとうに大きな喜びと安堵感を味わったことでしょう。「大和君」というその子供に一面識もない他人でさえそうなのですから、大和君の関係者、特にご両親にとってはどれほどの喜びであった想像することもできないくらいです。

私もこのニュースを初めからずっと追い続けて、もうほとんど諦めかけていたのですが、6月3日の朝、いつものようにテレビで定番の朝ドラを見た後、そのままテレビをつけっぱなしにしていた8時半過ぎに、いきなり子供が発見されたというニュースが流され、最初は喜びというよりも、信じられない驚きとして受け止めたように記憶しています。

私が6月3日というその子供発見の日を良く覚えているのには訳があるのです。その日は「イエスのみ心」の祭日でした。信心的、信仰的、典礼的には「祭日」ですが、日常的には「平日」なので、その日の修道院での朝ミサでの説教もそんなに長い時間のものではありませんでした。おざなりにしたのではありません。しっかり準備したのですが、時間的には平日的でした。そのままでしたら、その日はそれで終わったと思います。

ところがその日は金曜日で、夕方7時から大阪梅田教会で信者さんのためにもう一度ミサをささげることになっていたのです(今年の4月から私は大阪修道院に転勤となっており、その主な仕事は大阪梅田教会の協力司祭なのです)。

その夕方のミサにはお勤め帰りの熱心な信者さんたちが与られるということもあり、平日的なミサの説教というわけにはいかないので、朝からもう一度あらためて夕方のミサの準備を始めていたところなのでした。

テレビを消して、その日の福音をもう一度開いて読み始めました。ルカ福音書のたとえ話でした。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

朝一番のミサのときにも話したことでしたが、「イエスのみ心」の祭日の福音が、十字架上のイエス様についての場面ではなく、見失われた羊発見のたとえ話であることの意味は、見失った羊を捜すときの牧者の不安と悲しみと苦しみが、十字架上のイエス様のみ心の状態を示しているのではないか、ということでした。夕方のミサで信者さんにどのように話そうかと、あらためて福音書をひもといて同じ個所を読み、黙想をしていたときに、ハッと思い出したのでした。先ほどテレビを見ていたときの、見失われた子供発見のニュースを。見失われた羊を見つけ出した人が実際にきょういたんだ、と思ったら、もう一度感動がよみがえったようでした。大和君のお父さんが自分の子供の発見を知ったときの喜びはいかばかりだったことでしょう。そしてそれにも増して、自分を見つけ出してくれたときの大和君も、6日間じっと信じて待っていただけに、その喜びと安堵もまた一入だったと思います。

「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」とイエス様は言われます。天にある喜びについては想像することもできません。でも確かなことは、私たちも「見失われた一匹の羊」であることと、自分の力ではその状態から抜け出すことはできないということです。大和君は、6日間、マットレスの間に身を挟んで暖を取って寒さを防ぎ、何も食べる物はなかったけれども、屋外の水道の水で渇きを癒して、ひたすら同じ場所に留まって助けを待っていたそうですが、とても6歳の子供にできることではない、賢明なやり方だと専門家も称賛していました。

罪を犯して悔い改める必要があるのに、それに気付かないし、うすうす気づいていても、どのように悔い改めたらよいのか分からない状態を、見失われた羊、藪か谷間の崖の中で身動きが取れなくなった羊と言うのでしょう。自分でそこから抜け出すすべを知らず、自分の力ではどのように悔い改めたらよいのかも分からないなら、イエス様に心からの叫びを上げる必要があります。「早く、私を見つけ出して群れに連れ戻してください!」と。私たちのその心からの叫びを十字架上の「イエスみ心」は苦しい思いで待っておられるのです。叫べばその声は必ず牧者である「イエスのみ心」の耳に届き、救いの手が差し伸べられます。

今年の「イエスのみ心」の祭日は、私にとっては平日的祭日ではなく、結果的には大きな大きな信仰的祭日となりました。

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