平和と分裂 年間第20主日(ルカ12・49~53)

今日の箇所は理解するのがとても難しい所です。すなわち、「あなた方は、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。あなた方に言っておく。むしろ分裂である」(ルカ12・51)という一節です。「一致」や「平和」をもたらすというのなら分かりやすいのですが、逆に「分裂」と語っています。この箇所について理解するために、注解書はどのように記しているのでしょうか。

フランシスコ会訳の注解書には、「イエスの活動とそれに対する人間の評価という面から、イエスの救済の意味を説く。イエスによる救済は、『平和』とも呼ばれ、これは罪からの解放を意味する。しかしこの『平和』は、必ずしもすべての人間に評価され、受容されるわけではなく、それを否定し、拒否する者も存在する。12・51~53は、イエスへの相反する評価がもたらす分裂を述べている」と。一方、新共同訳の注解書では「イエスを介して燃やされる火にせよ、イエスの受難死という洗礼にせよ、それはイエスの前での人の決断を要求する。中立はありえない。イエスを拒否する人には、イエスの火は裁きの火、受け入れる人には清めの火となる。従ってイエスは見せかけの平和ではなく分裂をもたらしに来た。キリストによってもたらさせる分裂は家族の中にまで及ぶ」と。いずれにしても、注解書を読みながら、かえって難しく感じました。

この箇所の具体例を挙げるなら、キリシタン時代のことを考えると分かりやすいかもしれません。キリシタン時代には迫害や殉教があり、信者として生きるのはとても厳しい環境でした。人によっては、お金目当てで役人に信者を密告する者もいました。信仰を持つことはとても素晴らしいことですが、それを利用して密告により、お金を稼ぐ人も……。信仰により、平和な気持ちになる場合もあれば、こうした密告により、信者の間での分裂の原因になったりも……。

今の時代は弾圧などありませんが、信仰によって分裂の原因になっているものはないだろうかを考えさえさせられます。

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