裸でそこに帰るという種 年間第18主日(ルカ12・13〜21)

私たちは、医療がどんなに進歩しても、いつかは死を迎えます。それがいつなのか分かりません。ですから、いつ【死】を迎えてもいいように準備をしておきたいものです。私は、最近ヘンリ・ナウエンの『アダム』(聖公会出版)という本を読みました。この本は、アダム・アーネットの一生を書かれた本です。彼は、生まれながらに癲癇(てんかん)にかかり、また、難聴となるという、誰かの世話を受けないと1人では生きていくことができないという生活となり、34歳という若さでこの世を去りました。彼は、24歳のときにリッチモンドヒルにあるラルシュ共同体の「デイブレイク」に迎えられます。彼の一生は、何も社会のために素晴らしい功績があったわけでもありませんが、多くの人に神様の愛を与えた人であったということには間違いがありません。

この本の中にイエス様の受難のことについて書かれたところがありました。要約しますと、イエス様の公生活は、イエス様が人々に教え、奇跡を行うという活動的な生活でしたが、ゲッセマネで捕らえられたことを境に、すべて受け身となられ、まさに「なしとげられた」と言われるまで【受難】であった、という内容です。この箇所を読んで、私は、「人が死ぬときは、自分の意志で何とかすることができない、すべてが『受け身』なのだ」と感じたのです。

きょうのみことばは、イエス様のところにやって来た人が「先生、遺産をわたしと分けるよう、兄弟におっしゃってください」という場面から始まります。当時のユダヤ人たちは、ラビに対してこのような問題を相談していたようです。彼のこの願いに対して、イエス様は、愛情をこめて「友よ、誰が、わたしをあなたの裁判官、または仲裁者に立てたのか」と答えられます。彼のこのような問題は、人々の間で一般的なことだったのではないでしょうか。彼は、自分が受けるはずの遺産に満足ができず不服だったのでしょう。そのため、公正な裁きを願ってイエス様に相談をしたようです。

イエス様は、彼の質問を彼だけではなく「人々に向かって」仰せになられます。この中には、彼だけに忠告すると言うことではなく、周りの群衆に対しても同じように伝えるためでした。それは、このイエス様に相談をしに来た人に対しての“いつくしみの愛”と言ってもいいでしょう。それから、イエス様は、「あらゆる貪欲(どんよく)に気をつけ、用心しなさい。人の命は、財産によるものではないからである」と言われます。当時、財産が豊富にあるというのは、神様からの恵みだと言われていたようです。しかし、そこには、大きな落とし穴があったのです。イエス様は、ここで「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。」と言われています。どうしても、私たちは弱い者で、財産を持ちすぎると、自分のためにだけに使ってしまう、また、もっと財産を増やそうと思ってしまう傾向があります。イエス様は、そのことを注意されたのではないでしょうか。

イエス様は、彼らに「ある金持ちの畑が実った。……」という喩えを話されます。この人は、自分が「金持ち」であるのに、さらに豊かな「富」を得ることができました。さらに、これからの算段を始めます。みことばには、「そうだ。倉を取り壊して、もっと大きいものを建て、そこに穀物や貴重品を全部しまっておこう。そして自分自身に言おう。」とあります。彼は、自分の目の前にある財産を「全部しまっておこう」とか、「自分自身に言おう。」とか言っていることから、財産への強い執着があったようです。彼は、これらの財産を【自分の力】で得たと勘違いをしていたのです。彼は、多くの財産を得ることができたということを、「おん父からの恵み」だと気がつかなかったのです。この勘違いという心の隙間に、【貪欲】という思いが知らない間に入ってきたのではないでしょうか。彼は、その財産を使って、残りの人生を自分のためにゆっくりと使おうと思います。そんな彼に、神様は、「愚か者、今夜、お前の命は取り上げられる。」と言われます。このとき初めて、彼は我に返り、心の中に「空の空。一切は空。日の下でどうのように労苦しても、それが人に何の益になろう。」(コヘレト1・1)という言葉が響いて来たのかもしれません。

イエス様は、喩えの締めくくりとして「自分のために宝を蓄えても、神の前に豊かにならない者は、このようになる」と言われます。私たちがいただいている、【財産】は、お金だけではなく、能力や知恵、性格などすべての【私自身】と言ってもいいでしょう。もし、それらを“自分のためだけの宝”として蓄えているとするならば、きっと、イエス様は、「愚か者」と言われるかもしれません。私たちは、「裸で母の胎(たい)を出た。裸で、そこに帰ろう。主が与え、主がお取りになった。主の名は祝されますように」(ヨブ記1・20~21)というような気持でいつも生きて行けたらいいですね。

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