聖ローザ(リマ)おとめ

8月23日に記念される聖ローザは、1586年4月20日、南アメリカのリマで生まれました。13人兄弟の10番目の子として生まれた彼女に付けられた名前は、イサベラ・フローレス。聖人名として知られることになる「ローザ」は、1597年に堅信名として新たに与えられた名前です。ローザの生誕地であるリマは、1542年にスペインが先住民を占領・支配する形で打ち立てたペルー副王国の首都であり、人々は新天地での野心に燃え、その一方で先住民に対する抑圧や搾取という問題を抱えていました(このころの南アメリカの状況については、聖トゥリビオ〈3月23日〉について記したときに書いていますので、参照してください)。

ローザの生涯の特徴は、イエス・キリストの受難に引きつけられてなされた、幼いころからの継続的な祈りや犠牲、修徳的生活にあると言えるでしょう。ローザは、4歳のときには読み書きをすることができるようになっていたようです。そして、シエナの聖カタリナの生涯を知るようになります。ローザが、意識的に聖カタリナに倣おうとしたのかどうかは不明ですが、どの伝記もさまざまな点で両者の生涯が似ていることを指摘しています。これらの伝記によれば、ローザは幼年時代から穏やかで寡黙であると同時に、苦しみに対しては堅忍さを持ち合わせていました。早い時期から生涯、貞潔を守る誓いを立て、髪を短く切り、厳しい犠牲をしていました。たとえば、週に数度の断食をしたり、痛みをともなう粗い布地で作った服を身にまとったりしていました。

1606年、20歳のときに、ローザはドミニコ会第三会員となりました。ローザは、日常の仕事や祖母の看病をする一方で、捨てられた子どもや老人(特に先住民)を家の一室に連れて来ては、その面倒を見ていました。そして、彼女の修徳的生活はますます厳しいものになっていきました。「行きすぎ」とも思えるこのような彼女の生活を、皮肉をこめて否定的に見る人たちもいましたが、彼女の聴罪司祭たちが証言しているように、こうした厳しい犠牲の生活はすべてイエス・キリストへの愛からほとばしり出るものでした。実際、ローザは神秘のうちにイエス・キリストを見るという恵みに何度もあずかっています。

ローザは、1617年8月24日に亡くなります。彼女の列福・列聖運動は、彼女の死後、すぐに始められます。多くの人たちが生前から彼女の聖性を認めていたのです。こうして、ローザはその死の約50年後の1668年には列福され、さらに1672年に列聖されるのです。

聖ローザおとめを荘厳に記念するミサでは、マタイ福音書13・44-46が朗読されます。天の国に関する2つの短いたとえです。一方は、畑に隠されている宝を見つけた人が、「持ち物をすっかり売り払って」(44節)、その畑を買う様子が描かれています。もう一方は、探していた高価な真珠を見つけた商人が、「持ち物をすっかり売り払い」(46節)、その真珠を買う様子が描かれています。

描かれている状況、登場人物は異なりますが、この2つのたとえは同じパターンを持っています。「見つけた人は……持ち物をすっかり売り払って、それを買う」という表現が繰り返されているので、メッセージの中心はここにあると言えるでしょう。見つけたもののすばらしさを知っている人は、どんなことをしてでもそれを手に入れるに違いない。たとえ全財産を売り払わなければならないとしても、当たり前のようにそうするに違いない。天の国もそのようなものである、ということです。

しかし、よく考えてみると、全財産を売り払うということは大変なことです。確かに、求めていた宝や真珠は手に入れられるかもしれません。しかし、持ち金がなくなってしまうのですから、待っているのは当面の生活費にも事欠くような状態です。宝を見つけた喜びとは裏腹に、その後の生活は苦難に満ちたものになることが予測されるのです。現実的に考えると、不賢明な行動のように思えます。欲しくてたまらないものかもしれないけれども、ここは現実の生活のことを考えて、我慢をするのが賢明なのではないかと考えてしまうのです。

おそらく、この2つのたとえは、その後の生活ことを考えていないわけではないでしょう。しかし、生活に苦しまなければならないことが分かっていたとしても、それでもなお、全財産を売り払わないではいられない。それほど天の国はすばらしいものなのである、と言いたいのでしょう。

そう考えると、このたとえはわたしたちに対して、天の国のこと、イエス・キリストのこと、永遠の救いのことを、そこまですばらしいと感じているのかどうかと問いかけているのではないでしょうか。わたしたちは、常に先のことを考えながら生活しています。先々困ることのないように生活していくことが賢明であるように感じているのです。しかし、天の国はこの一見正しく思える理屈を打ち破るほどすばらしいものです。わたしたちは、たとえ苦難が待っているとしても、当たり前のようにすべてを投げ打って天の国を選び取ることができるのでしょうか。

聖ローザおとめの生涯は、まさに天の国のすばらしさを知り、そのためにすべてを売り払った者の模範を示しています。聖ローザは、そのために苦しまなければならなかったばかりか、天の国のすばらしさを感じ続けるために、自らに苦しみを強いました。しかし、だからこそ、天の国という宝を得たのです。わたしたちが世の「理屈」や「賢明さ」に従うのではなく、すべてに超えて天の国を追い求めることができるよう、またその歩みにともなう苦しみを耐え忍ぶことができるよう、聖ローザの取り次ぎを求めることにしましょう。

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