聖ラウレンチオ助祭殉教者

聖ラウレンチオは、ローマで活躍した助祭で、258年にローマ皇帝バレリアヌスによる迫害で殉教したと言われています。この殉教者に対する崇敬は、死後、比較的早い時期から広まったようで、その墓の上に、すでにコンスタンティヌス皇帝が教会を建てました。現在の「聖ラウレンチオ大聖堂(Basilica di San Lorenzo)」(大幅に手が加えられていますが)です。

この時代の多くの殉教者、特に後に崇敬を集めた殉教者に共通して言えることですが、その生涯について明確なことはほとんど知られていません。さまざまなエピソードが伝えられてはいますが、後代の創作や別の伝承と組み合わさってしまったものである可能性も強く、はっきりとはしません。しかし、ラウレンチオという人物が助祭としてローマの司教・教皇を支え、最後にはその命すら惜しまずに捧げたことは事実です。

8月10日の聖ラウレンチオの祝日には、ヨハネ福音書12章24─26節が朗読されます。その中の、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のまま残る。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」は聖歌にも歌われており、とても有名な言葉です。古代の人々にとって、植物の成長は大きな驚きをもって受け止められていました。小さな一粒の種が植えられると、そこから芽が出て成長し、茎、葉、花、そして実が出てきます。あの小さな一粒の種のどこに、これらすべてが隠されていたのだろうか……。人々は、そこに神の力とはたらきを見いだしていました。しかも、種はそのままだと小さな種のままであり、地中に埋められ(=死んで埋葬され)て初めて成長をするのです。ヨハネ福音書の教えは、この驚きを表したものです。

このたとえは、とても力に満ちています。種の小ささと実の多さのコントラスト、成長して実を結ぶためにはいったん死ななければならないということ、そしてこの実は自分自身の成長の結末だけでなく他の生き物をもうるおすものであるということ……。

ヨハネ福音書にかぎらず、初代教会はこのような植物の神秘を、キリストの死と復活の神秘に結び合わせていきました。種は自分の姿かたちを保とうとすれば、小さな種のまま残ってしまいますが、いったん地中に埋められると、自ら成長するだけでなく、多くの実を結んで、他をうるおします。それと同じように、イエスも自分の姿を保つのでなく、人々のために死んだからこそ、復活という実を結び、人々を救うことができたということです。種は地中に埋められたとき、見えなくなります。まるで消えてしまったかのようです。しかし、いつか芽を出し、実を結びます。イエスが殺されたとき、人々は(弟子たちさえも)、イエスが敗北し、すべてが終わってしまったと感じました。しかし、そこから想像もできないようなイエスの救いの力があふれ出たのです。

ヨハネ福音書の中では、この教えはすでにイエスがエルサレムに到着した後に置かれています。この後、13章から過越の食事(最後の晩さん)が始まり、イエスが弟子たちの足を洗うエピソードに続いて、16章まで長い教えが記されます。17章はイエスの祈り、そして18 章からは受難について語られます。したがって、もはや十字架の死が間近に迫った状況でこの教えは語られているのです。

このような文脈からも、死んで多くの実を結ぶ一粒の麦が、直接にはイエスご自身を表していることがわかります。しかし、イエスは「自分の命を愛する者は……、この世で自分の命を憎む人は……」と続けることによって、この「一粒の麦」を他の人々にも広げて当てはめていきます。そして、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え」と招くことで、イエスに従って自分の命を捧げる者こそ、イエスに仕える者であり、多くの実を結ぶということを教えているのです。

ラウレンチオや他の多くの人々の殉教は、表面的には決して「多くの実を結ぶ」行為には見えません。むしろ、キリスト者の敗北を証しし、反対者を活気づけるようにさえ思えます。しかし、一粒の麦と同じように、イエスの死と同じように、神のため、人々の救いのためになされる死から、神は大きな実を結んでくださるのです。

私たちは、死=敗北という表面的理解を超えて、神が死からも命を、しかも豊かな永遠の命を生み出すことができるということを信じるように招かれています。自分の姿かたちを保とうとするのでなく、人々のために自分の身を投げ出すよう招かれています。ギリシア語の「殉教」という言葉は、「証し」という言葉から生まれたものです。殉教者は、単に死んだのではなく、死をもって人々のためにすべてをささげてくださったキリストとその力を証ししたのです。私たちも聖ラウレンチオの取り次ぎによって、自分の生活の中で、イエスの死の価値と力を証しすることができるように励みたいものです。

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