私が出会った天使の話

一か月以上も前のことですが、知り合いのシスターからの紹介で、東京都内にあるカトリック系の児童発達支援センターのクリスマス会のお手伝いに行くことになりました。そのような施設には取材という形で行ったことはありましたが、クリスマス会で話をするというような経験は皆無でした。どのような施設なのかを確かめることもしないままに、いつものように気軽に引き受けてはみたものの、その日が近づいて来るまで、ときどき思い出しては、どんな話をすればよいのかなあ、と考えていました。日曜日のミサの奉仕とか、黙想会の指導という奉仕には慣れていますが、子供を相手の話は内容も長さも全く次元の違うことだと思っていました。

クリスマス会当日の数日前に、12月16日の午前中と翌17日の午後の2回のクリスマス会の進行表が担当者のかたからメールで送られてきました。あらかじめ電話で大まかなことは伺っていましたので詳細にチェックすることもなく、机の上に置きっぱなしにしていたものを、前日になって自分の出番の時間を確かめようと改めてチェックして、思わず吹き出してしまいました。私が子供たちとその保護者に話す時間は3分間と記されていたのです。何? 3分間?

一人で笑いながら、その実、ホッとしたのと同時に、3分間で何話すの?と自分に問いかけていました。3~4歳の子供に長い時間話すのは無理だということは直ぐに納得しましたが、内容に関しては、それから真剣に考え、だいぶ検討した結果、天使について話すことにしました。イエス様のお誕生のときには天から背中に小さな羽根をつけたたくさんの天使が降りて来て、小さなイエス様におめでとうの歌を歌ったこと、みんなは天使にはなれないけれども、天使のようにきれいな心を持つことができるように、小さなイエス様にお祈りしましょう、と言って私がみんなを代表して祈ること、などを電気を消したベッドの中でシミュレーションしながらそのときに備えました。

多少緊張の思いで、クリスマス会の開始30分くらい前に施設に到着し、会場に案内されたのですが、50人くらいの子供たちと同じ数の若いお母さんが別々の席に座った様子に、こりゃあ、何話しても子供たちは聞いていないな、と感じましたので、子供に話す調子でお母さんに話すんだな、と勝手に自分に納得させました。

案の定、子供たちはほとんど聞いていませんでしたが、大人に話す場合にときどき感じるような、俺の話を聞いていないな、この野郎、といった焦りも怒りも全くありませんでした。

2分話したのか、3分話したのか、気にもしないで、これでおしまいです、と言って話を終わったのですが、意外だったのが、プログラムの終わりにみんなが退場するときに担当のかたから頼まれていた按手を子供たちとお母さん全員にしたときでした。これも子供たちは、知らないおじさんに訳の分からないことをされて拒絶反応を示すのではないかと多少懸念をしていたのですが、全く私の意に反して、ほとんどの子供が大人しく頭を下げて按手を受けたのです。ある子供は下を向いて、ある子供は上目づかいに私を見つめ、ある子供はお母さんの胸に抱かれたまま、おとなしく、意味が分かっているかのように、神の豊かな祝福がありますように、という按手を受けたのです。それと同時に意外だったのは、若いお母さんが全員、頭を下げニコニコしながら按手を受けて、受けた後も、ありがとうございました、と頭を下げて退場していったことです。

後で担当のかたから、丁寧に按手をしてくださって、ありがとうございました、お母さんがたがとっても感謝していました、と言ってくださったのも、意外でした。天使についての私の話は聞いていなかったような気がしたのですが、主の降誕の前に、私のほうが天使に会ったような豊かな気持になって帰路についた次第です。翌17日の年長組の別の子供たちもまったく同じ姿を見せてくれました。

天使といえば、今から15年前にも私は天使に会ったことがあります。カトリック新聞社に勤務していたころ、取材で「日本カトリック聖霊による刷新全国大会」の会場に行ったときのことです。600人以上の参加者が、みんな思い思いに両手を挙げて神を賛美しながら歌っている様子に、取材かたがた、いい大人がよくあんなことができるよな、と冷ややかに見つめながら、私自身は直立不動のままで賛美の歌っていたとき、一人の年配の女性が私の側にきて、私に囁いたのです。神父様、あのね、両手を挙げて歌うと、肩凝りがとれますよ、と。私が肩凝りに悩んでいたのをどうして見抜いたのか、単なる冗談のいたずらで言ったのか、真偽の程はつまびらかではないのですが、その囁きに、私は、あ、そう?と即座に反応して両手をサッと挙げて皆と、おとなげもなく歌うようになって、肩凝りが解消したのです。それがきっかけで、思わぬ方向にことは進み、いろいろなことがあって聖霊に対する私の信仰の目が開かれて今日に至っています。そこに私を導いてくれた人こそ、私の天使だったのです。だって彼女は自分で自分のことを、私?年増の天使よ、といたずらっぽく自己紹介したのですから。15年前に70歳過ぎで年増と言ったのですから、今では大年増もいいところになっているのですが、私にとってはいつまでも天使です。

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