19. 知・情・意の一貫教育

若いアルベリオーネ神父は、司祭になった翌年の一九○八年(明治四一年)から母校のアルバ神学校で一二年間教べんを取った。受け持ち学科は、歴史、教会史、典礼、修徳学、礼儀作法、司牧神学、カトリック要理、教理神学、倫理神学、話術、社会学、教会美術など多種多様であった。教材はいろんな雑誌や教科書をもとにしてつくった。その中の一つは、「司牧神学のメモ」という一冊の本になった。教授中も神学生たちも、アルベリオーネ神父の明瞭な教え方や学問の深さに驚いていた。とくにアルベリオーネ神父は、神学校の内外で大衆を念頭に置きながら、カトリック要理の教育に力を尽くした。同神父の回想録にこう述べられている。

「カトリック要理に関する聖座の教令やよいテキスト、カトリック要理教育用スライドと映画、掛け図、要理教育用の備品、これらすべては神のみ手にあって役に立った。彼(アルベリオーネ神父)が要理教育法の特別に研究し、それを自分の使徒職としたのは、いつにもまして、司教から教区教育委員会のメンバーに指名されたときだった。この委員会は三人の司祭からなるグループで、教区内で使用する学年別テキストを作り、要理教育プランの立案を目的としていた。彼は常に教理教育関係の仕事を第一の、最も根本的な仕事と考えていた。“行って、宣教し、教えなさい”。今ではイタリアにおいても諸外国でも、パウロ家の要理教育活動は、ますます分野を広げて盛んになっている。」

アルベリオーネ神父の教育法は、理論だけ、あるいは知識のつめこみだけでなく、常に知恵と意志と心の教育をも含める全人教育であった。同神父はこう述べている。

「学問を学ぶにも、また教えるにも、研究は常に道・真理・生命にまします私たちの師イエス・キリストに対する認識がますます深められ、私たちの知恵と意志と心とにおいてキリストがより完全に形成されるように整えられ、完成されなければならない。私たちは、まずキリストの謙そん、勤勉な弟子であってこそ、やがて人びととの有能な教師になるであろう。……人格全体をあげて、つまり知性、意志、心、体力をあげて神への全き愛のために、イエス・キリストにあって生きなければならない。」

アルベリオーネ神父は、当時の大神学校の先生のうちでいちばん年が若かったので、大神学校の教授食堂では、食事の時に給仕をしていた。ある日、校長のそばのにすわって食事し、シスターからさし出された皿を受け取って校長や教授たちにくばっていた。たまたま校長のお客が招待されて、校長の隣で食べていた。アルベリオーネ神父が立って皿を取りに行こうとしたところ、そのお客さんが小声で校長に話した。「この若い神父(アルベリオーネ神父)は残念ながら長生きしないだろうね。」すると校長も「そうだね、残念だね」と低い声で答えた。アルベリオーネ神父の耳には、その話が聞こえたが、その時は知らん顔をして、すわっていた。

三○歳にもならずに若死にするだろうと言われた者が、その以後マスコミの使徒としての活動をどのように展開して行ったかをみることにしよう。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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