生活の棚卸という種 王であるキリスト(マタイ25・31〜46)

典礼は、「年間主日」の最後となる「王であるキリスト」です。企業でも年度末は、決算をしたり、棚卸しをしたりしますが、私たちも信仰生活の中での【棚卸】をしてみてはいかがでしょうか。

みことばは、『最後の審判』の場面です。これまで、イエス様は、色々な譬え話や奇跡を通して、おん父の教えを、また、『天の国』について教えられました。そして、この『最後の審判』の譬えを話し境にイエス様の『受難と復活』の場面が始まります。イエス様ご自身、「あなた方も知っているとおり、二日の後には過越の祭りを迎える。人の子は引き渡され、十字架につけられる。」(マタイ26・2)と言われています。

きょうのみことばでイエス様は、「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えてくるとき、人の子は栄光の座につく。そして、すべての民族がその前に集められ、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、人の子は彼らを二つに分け、羊を右に、山羊を左に置く。」と言われます。これは、イエス様がメシアとして、また、【王】として再臨されることを言われているようです。そして、私たちを「右と左」に分けられます。私たちは、何かを決める時、「右なのか、左なのか、あるいは、その両方のいいところを合わせたものか」などと考えることがあります。しかし、この『最後の審判』では、「右か、左か」と決められ、「折衷案」というものは、ありえないのです。

イエス様は、「その時、王は自分の右側の者に言う、『わたしの父に祝福された者たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい。』」と言われます。イエス様は、私たちが生まれてからではなく、生まれる前から私たちが再び天の国に入るように用意してくださっておられます。ここでのポイントは、「わたしの父に祝福された者たち」と言うことのようです。私たちは、どのようなことをすれば「わたしの父に祝福された者」となることができるのでしょうか。それは、イエス様が「天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである」(マタイ7・21)と言われたように、私たちがどのように「おん父のみ旨」を行うかということではないでしょうか。

おん父は、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を授けられた時「これはわたしの心にかなう者である」(マタイ4・17)と言われ、ご変容の時にも「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」(マタイ17・5)と言われています。ここに大きなヒントがあるのではないでしょうか。私たちが「おん父に祝福される者」となり、「おん父のみ旨」を行うためには、イエス様が行われた姿に【倣う】ことと言っていいでしょう。

では、イエス様の姿、生き方とはどのようなものなのでしょう。それは、イエス様が言われた「わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に服を着せ、病気の時に見舞い、牢獄にいた時に訪ねてくれたからである」とこだと思うのです。イエス様は、人々が飢えている時に食べさせ、渇いた人に飲ませ、……牢獄にいる時に訪ねる方なのです。私たちは、洗礼のお恵みをいただき、イエス様を私たちの「先生」であり「教師」として生活を送っています。私たちは、イエス様が示された姿に倣う者となれればいいですね。

王から右側に分けられた人たちは、「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て……あなたを訪ねましたか」とありますように、自分たちが言われたことをいつしたのか覚えていないようです。王は、「あなた方によく言っておく。これらの兄弟、しかも最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたことである」と言われます。

次に、王は、左側に分けられた人たちは、「呪われた者たち、わたしから離れ去り、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火には入れ。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせず、訪ねてくれなかったからである」と言われます。彼らは、右側に分けられた人たちと違って自分達がしたことを覚えていたのでしょう「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、……お世話をしませんでしたか」と答えます。

この右側に分けられた人たちと、左側に分けられた人たちの違いは、どこにあるのでしょうか。大きな違いは、その行為の中に「『私(自我)』がないか、またはあるのか」という違いではないでしょうか。イエス様の姿は、いつもおん父のみ旨を行われ、どんな人にも【いつくしみの愛】を持って接しておられました。

私たちは、日々の生活を通してどれだけ善いことをしたか、素晴らしい業績をあげたかということではなく、どれだけ【いつくしみの愛】を持って人々の中におられるイエス様に接したかということが問われているのではないでしょうか。私たちは、きょうのみことばを黙想することで、信仰生活の棚卸し、もう一度私たちの日常を振り返ることができたらいいですね。

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