隣人を愛する 年間第15主日(ルカ10・25~37)

一人の律法の専門家が「わたしの隣人とは誰ですか」(ルカ10・29)と尋ねることから話が始まります。

「隣人」と漢字で書くと、「隣りの人」となりますが、本来はどんな意味でしょうか。ギリシア語原文では「プレリオン」、ラテン語では「プロッシムス」が使われ、「最も近い人」を意味しています。家庭を持っている人であれば夫婦や親子、修道院では共同生活を送っている兄弟姉妹、教会の中であればミサで出会う信徒同志や司祭と信徒になるでしょうか。

今日のみことばでは半殺しにあった一人のユダヤ人がいて、まず祭司が通りかかります。「祭司」はエルサレムの神殿で宗教儀式を司り、有名な人では大祭司メルキセデクという人がいました。神と人との仲介者でもあることを考えると、当然のことながら傷ついた人を癒やすのは本来の務めでしょうが、面倒くさがって通り過ぎていきます。次にレビ人が通りかかります。レビ人は神殿で奉仕し、多くの人から尊敬されていた立場でした。「レビ」という言葉にも「親しむ者」「結び合わせる者」という意味があり、名前の由来からすると半殺しにあったユダヤ人に寄り添うのは本来の務めでしょうが、知らないふりをして通り過ぎていきます。次に一人のサマリア人が通りがかります。サマリア人は当時の人々にとって軽蔑の対象にもなっていました。サマリア人のことを「シケムに住む愚かな民」(シラ50・26)というくらいユダヤ人自身、サマリア人のことを軽蔑していました。そうした立場にもかかわらず、サマリア人は「憐れに思い、近寄って、傷口に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をした。それから、自分のろばに乗せて宿に連れていき、介抱」(ルカ10・33~35)します。サマリア人自身、旅という目的を持っていましたが、その時間をあえて割いて面倒をみていきます。まさに予定変更です。しかも「憐れに思い」が印象的で、それをギリシア語原文で読むと「スプラングニゾマイ」が使われ、心から同情し、共感し、憐れむ気持ちが込められています。こうした対応の中に、サマリア人の隣人に対する心温まる思いがよく伝わってきます。

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