司祭叙階六十周年を迎えて 池田敏雄神父

私が司祭に叙階された年は一九五七年七月七日で、場所はローマの聖パウロ会本部に併設された「使徒の女王聖マリア大聖堂」内であった。一七名の種々国籍の違う同級生と共に叙階式。その中には四歳年上の故、前田敏郎神父がいた。今では当時の同期生の半数以上は亡くなったり、退会したりしている。八十九歳の超高齢者の私には、まだやるべき使命があるのではないか、と思いめぐらす日々である。

司祭養成初期の歩み

私は敗戦の翌年昭和二十一年十一月二二日苦学生として聖パウロ会の住居に住まわしていただいた。当時の苦学生の仲間は早稲田大学夜間部の安藤富士男氏と明治学院大学夜間部の上村肇氏。私は江古田の英会話スクールの夜間部。日曜や祝祭日には志高く語り合ったものである。特に上村氏とは宮崎以来の知り合いで、私より五歳年上で共に気が合い、よく話しあった。公認会計士の資格を取ってからは聖パウロ学園で年に一度の会計検査を長年担当してくださった。

さて翌一十二年の初めには若葉修道院に私たち三人も、中野の借り宿から、若葉修道院の一部屋へ引っ越した。

同年の二月頃になると、前田敏郎氏をはじめ三人が上智大学入学試験のため苦学生として若葉修道院に寝泊まりするようになった。その頃である。パガニーニ神父様が私に「あなたも上智を受験してみませんか」と、院長の代弁をしてくれた。

それで入学試験に合格した所属先が何と司祭コースのラテン哲学科。この学級には三十数名いた。毎日、木曜を除いて一時間はラテン語の授業、後は一般教養科目。当時はミサも秘跡の授与も聖務日轄書もグレゴリオ聖歌もヴァチカンからの書類もみなラテン語。

新制大学の三、四年生になると、主なスコラ哲学科日(存在論、認識論、宇宙論、論理学、倫理哲学)はラテン語で講義、学期末の試験はラテン語で口頭か筆記。私たちパウロ会員は、これ以外に使徒職としてパウロ学園の専科生と別科生に三時間の授業を受け持ち、この時点でも苦学生並みであった。最も苦労したのは旧制予科の一年と新制大学一年に必須科目の数学。当時は司祭にどうして数学が必要? と思ったが、スコラ哲学・神学は三段論法で組み立てられている。確かに理数系の物理、天文学、医学などは論理の枠内に収まるが、しかし赦し、隣れみ、愛徳などの神様や人間の営み、道徳は論理の枠内には収まらない。夏休みには箱根の芦ノ湖で泳いだり、駒岳を超えて地獄谷に降りたり、金時山に登ったりした。

ローマ聖パウロ国際神学院にて

四年間の私たちの神学課程は十人前後の一部屋で共同生活。本棚はトランクや箱で自己流に組み立てたもの。ここから午前中は同じ建物内の講堂に通い、聖書字、倫理神学、教会法、芸術論、教理学を早口のイタリア語で学び、教科書は主にイタリア語、次にラテン語であった。ここの学生はイタリア、フイリピン、中南米、スペン、ポルトガル、アイルランド、カナダ、北米、日本出身からなり、総数四十人あまり。午後は一時半から三時間の使徒職現場に向かう。私の担当は印刷機械で一人のイタリア志願者の少年が付き添った。

また奨学金を出して頂く恩人、イタリア婦人らを紹介して頂いた。夏休み中に石造りの山小屋に一泊し、翌朝、岩石のグランサッソ頂上(2,900m)で学生主任ペリーノ神父(後の総長)のミサは生涯忘れない。

日本での司祭生活

司祭敘階後、赤坂修道院院で待望の個室が与えられたが、夏には冷房設備がなく汗びっしょり。聖パウロ学園高校で宗教や英語の授業やパウロ会の志願者養成を担当。司祭叙階後二年目から上智大学大学院スコラ哲学科修士課程に編入し、二年間通学したが、授業が終わって修道院に帰れば、学校の授業が待っていた。ここでも苦学生並み。修士課程を終えてから間もなくして専科生にラテン語の教科書を使って哲学講義を数年続けた。それから一九七一年十一月三日、赤坂から八王子へ移転の際、私は若葉修道院へ移転し、間もなく、ここの院長に就任した。

当時の院長顧問会議の決定で会計と受付を外部から雇われたのが重宗氏であった。この方の使徒職への協力のお陰で、私の著述活動は軌道に乗った。また心身の気晴らしになったのは夏休みの期間中、須走登山口近くに別荘を持つ女子パウロ会のチャプレンになったことである。五、六人前後のシスターたちを自動車で五合目に案内し、ここから頂上まで六、七時間かけて登頂、人の命を預かる責任者として、何らの事故に遭うこともなく、三六回の富士登山を達成できたことは神様のお恵みによるものと感謝している。夕食後はアコーディオン演奏で音楽を楽しんだ。

なお著述活動の縁で種々の信心会の方々と知り合いになり、十数年前から諸ミサを引き継いだ。先ず志村辰弥神父様が東京カテドラルで執行していた初土の聖母信心会。そのほかにローザ・ミスチカの信心会。更に明け星の信心会。二〇一一年に明け星の信心会で背面式のトリエントミサを始めたところ、ウナ・ヴォチェ会の方々がこれを聞きつけて、このミサを毎週第二、三日曜日の午後から始めた。以上の司牧はいまだに続いている。

司祭生活を振り返って思うに、神様と隣人に感謝に堪えない反面、私の多くの過失についてお詳びしたい。健康の続く限り、現役の司祭として、私に接する多くの人々に諸秘跡で魂の医者の役務を果たし、カテキズムの講義を続けたい。要するに神様から頂いた豊かなお恵みと私に接した方々の協力に感謝し、命尽きるまで、頑張りたい。

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