いちばん重要な掟という種 年間第30主日(マタイ22・34〜40)

私の母は姉が共働きで家を留守にするため、代わりに子どもたちの世話をしていまいた。その時、母は「子どもたちは、3歳までしっかり愛情を注いで育てなければならないの。そうするとしっかり育つから」と言っていました。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、このことと何となく共通するものがある感じです。愛とは、「心」を「受」と書きますが、子どもたちは母親からの「心」を受けながら育ったのかもしれません。

きょうのみことばは、ファリサイ派の人たちがイエス様に「律法の中でいちばん重要な掟を尋ねる」ところです。みことばは「サドカイ派の人々がイエスに言い込められたのを知って、ファリサイ派の人々が集まった。」という言葉から始まっています。ここに彼らのプライドの強さや、頑なさや、また、どうしても民衆の目を自分たちに向けようという執念のようなものを感じます。前には、ローマ帝国への納税のことで「ファリサイ派の弟子とヘロデ党の人たち」をイエス様の所に遣わしましたし(マタイ22・16)、復活についても「サドカイ派」の人たちがイエス様の所に訪ねています(マタイ22・23)。そして、今度は、ファリサイ派の中でも特に「律法の専門家」がイエス様を試みようとして質問をしているのです。ここに、人間の傲慢さがあるのではないでしょうか。

私たちは、時折自分の主張を曲げることを恐れ、周りの人の声に耳を貸さず自分の意見に固執したり、相手を傷つけてしまったりする傾向があるような気がいたします。その時には、「エゴ」が強くなり周りが見えなくなってしまいます。もし私たちがそのような傾きに陥ってしまった時、周りに目を向け、周りの声に耳を傾ける心の余裕があればいいですね。ちょっとの間自分と神様との対話の時間を作ることでこの傾きを避けることができるかもしれません。

さて、ファリサイ派の中でも「律法の専門家」は、イエス様に「先生、どの掟がいちばん重要ですか」と尋ねます。律法には、613の掟があってその中にはしなければならない掟が、248もありました。ファリサイ派の中では、「このたくさんある『律法』の中でどの掟がいちばん重要なのか」という議論がいつもなされていたのでしょう。この律法の専門家の質問の意図は、イエス様が、どこか一部だけを答えられた場合は、他の律法を軽んじてしまうことを指摘することになり、全てが重要と答えられると、多くの律法を守ることは不可能であり、民衆もそれを守るために苦しい思いをしているという試みがあったのではないでしょうか。

イエス様は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と答えられます。この掟は、申命記6章5節にあってユダヤ人なら誰でも知っていました。申命記には、「今日、わたしがあなたに命じるこれらの言葉に心を留め、子供たちにそれらを繰り返し教え、あなたが家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、この言葉を語り聞かせなさい。これを徴として手に結び、記念として額につけなさい。それをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい」(申命記6・6〜9)とあります。イエス様は、このように誰でも知っている掟がいちばん重要であると伝えられたのです。

では私たちは、このいちばん重要な掟をどのように行えばいいのでしょう。イエス様が言われる「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」の中の「心」「精神」「思い」は目に見えないものです。そのため、イエス様は第二の掟である「隣人をあなた自身のように愛しなさい」と答えられたのではないでしょうか。おん父が私たちを造られる時、「われわれにかたどり、われわれに似せて人を造ろう。……神は、ご自分にかたどって人を創造された」(創世記2・26〜27)とあります。イエス様は、具体的な形で第一の掟を行うために、第二の掟を伝えてくださったのではないでしょうか。

この三つの言葉は、「風」に例えたらいいのではないでしょうか。「風」は、「空気の流れ」ですから空気が目に見えないように「風」も目には見えません。しかし、風が「頬」当たる時【風】を感じることができますし、木々の葉が揺れている時【風】が吹いていると感じることができます。私たちの言葉や行いが周りの人を和ませたり、困っている人が癒されたり、物事が恵みのうちにうまくいく様子を見た時、第一の掟を行ったことになるのではないでしょうか。私たちが「隣人を自分自身のように愛する」ということは、三位一体の神である主を愛したことになると言ってもいいしょう。

私たちは、人から「ありがとう」とい言われる時、心の中が温かくなります。それは、三位一体の神様も同じことだと思います。私たちが神様から頂いた恵みに感謝する時、神様もその感謝を嬉しく受け入れてくださっていることでしょう。私たちは、隣人の中におられる三位一体の神様に気づき、第一の掟を行うことができるよう祈ることができたらいいですね。

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