必要なことは、ただ1つだけという種 年間第16主日 (ルカ10・38〜42)

現代に生きる私たちは、日常生活の中でさまざまなストレスを受けています。それは、体と心に何らかの影響を及ぼしてしまいます。その原因の一つとして、 「マインド・ワンダリング」というものがあります。これは、目の前の物事以外のことを考えるということです。例えば、明日旅行に行くとしましょう。その人 は、部屋の掃除をしながら、「何を持って行こうかな。どんな服装で行こうかな」とあれこれ考えます。この人は、目の前に「掃除をする」ということがあるの ですが、掃除以外の「旅行のこと」を考えています。また、会社でプレゼンの準備をしながら、以前、うまくいかなかったことを思い出してしまい、プレゼンを してもいないにも関わらず、「今回も失敗したらどうしよう」と考えてしまうとします。このような心の迷いも、その人にとって、ストレスとなってしまうので す。私たちは、このように1日のうちに、約47%の時間を目の前のことに集中しない「マインド・ワンダリング」の状態にあるそうです。

きょうの みことばは、イエス様と弟子たちがある村のマルタとマリアの家に招待される場面です。ヨハネ福音書には、「ベタニア」(ヨハネ11・1)と書かれてあっ て、イエス様たちは、エルサレムに向かう途中に彼女たちの家に招待されたのでした。ただ、ユダヤ教の中では、女性がラビを自宅に招くと言うことは、異例な ことだったようです。

イエス様たちは、エルサレムに向かう前に以前から親しくつきあっていた家族である、この家でゆっくりしたかったのではない でしょうか。ガリラヤから旅をしてきて、方々で病人や汚れた霊に憑かれた人を癒し、ファリサイ派や律法学者との問答をしながらエルサレムに到着しようとし ています。イエス様たちは、ようやくホッとできる家族との再会を喜んでいたことでしょう。また、マルタとマリアも、イエス様たちからいろいろな教えや奇跡 の話などを聞きたかったのかもしれません。

さっそく、マリアは、イエス様の足元に座ってイエス様の話に夢中になって聞き入ります。当時は、今の ように椅子に座って聞くというよりも、床に車座になって聞いていたようです。ですから、マリアはイエス様の話がいちばん聞こえるところにいたのです。ま た、「足元」とありますので、マリアの謙遜さとイエス様への愛ということも表れているのではないでしょうか。マリアは、イエス様の温もりを肌で感じ、イエ ス様や弟子たちの話に耳を傾け時間を忘れるくらいに彼らとの会話に集中していたのでしょう。

一方、マルタは、イエス様たちが少しでも旅の疲れを 癒され、これから向かうエルサレムでの宣教がうまくいくように休んで頂こうと思って、部屋を整えたり、彼らの食事の支度をしたりと働いています。みことば には、「マルタは数々のもてなしのため、忙しく立ち働いていた」とあります。ユダヤの婦人たちは、男性が会堂で祈り、聖書を深めている間、家庭で家事を行 い、彼らの食事の支度をすることで、彼らの祈りの奉仕に参与していたようです(ルカ8・3)。そのため、マルタにしてみれば、マリアが仕事もせずにイエス 様の足元で話を聴いているということに苛立ちを覚えたのでしょう。ついに、マルタは、「主よ、わたしの姉妹は、わたし1人にもてなしをさせておりますが、 何とも思いになりませんか。手伝うように言いつけてください」とイエス様に伝えます。

イエス様は、彼女に愛情をもって、「マルタ、マルタ、あな たは多くのことに思い煩い、気を使っている。」と言われます。イエス様は、マルタのもてなしを咎めたのではありませんでした。むしろ感謝していたことで しょう。ただ、彼女が「多くのことに思い煩い、気を使っている」ことを彼女に気がつかせようとされたのです。この【多くのことに思い煩い、気を使う】とい う言葉は、「本来やるべき仕事から心が離れている」という意味を表しているようです。マルタは、自分が行っているさまざま仕事をしている最中でもマリアの ことが気になり、自分がしなければならない仕事に集中できなかったのです。イエス様は、彼女に「必要なことは、ただ、一つである」と言われます。

福音宣教には、2つの「奉仕」があると思います。1つは、祈りを通して三位一体の主に耳を傾けること、もう1つは、活動を通して「キリストの苦しみの欠け たところを、キリストの体のために、この身で補う」(コロサイ1・25)ことです。大切なことは、2つのバランスではないかと思います。活動だけに集中す ると、「私はこんなに働いているのに」と自己満足や相手への非難への傾きが出て来る危険性があります。また、聖堂で祈っているだけでも不十分になってしま います。祈りは、活動の源であり、活動の糾明に大切な時間です。私たちは、イエス様のみことばを聴いて「今、私にとって何が必要なことか」ということを常 に識別する恵みを頂けたらいいですね。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

コメント

    • けろっぴ
    • 2016年 7月 16日

    マインド・ワンダリングのお話、とても面白かったです。

    最近、キリスト教的ヴィパッサナー瞑想の日帰り黙想会に参加して、
    「今、ここをあるがままに気づく」ことの大切さを学びました。
    でも、終日ほとんど「マインド・ワンダリング」状態でした。

    ヴィパッサナー瞑想は、「マインドフルネス」瞑想とも呼ばれるそうです。
    マルタが「マインド・ワンダリング」の状態とすれば、
    マリアはまさに「マインドフルネス」の状態にあったのだなぁと思いました。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

  1. とまにちわ!また会いに来てくれてありがとうございます。久しぶりに、いただいたお便りをご紹…
  2. 私が20代の頃でしょうか、母から「最近物忘れがひどくなるし、耳も聞こえにくくなった」と言われたことが…
  3. 今年のノベナは、創立者の精神にスポットを当てて作成しています。そのため、第二朗読は、創立者の著書から…
  4. 2017年10月16日から21日まで、イタリアのアリッチャで第2回聖パウロ修道会出版社・編集…
  5. 2014年の4月から消費税が八%に跳ね上がりました。経済の動向を見極めた上でさらに十%にするか、やが…
“神父・修道士になるには”

ピックアップ記事

  1. 【懐かし写真館】聖パウロ修道会の懐かしい姿を写真でご紹介しています。今回は東京都八王子市にあった…
  2. 私たちは、ときどき「でも○○」という言葉を使うことはないでしょうか。例えば、「あなたが言っていること…
  3. 2017/4/8

    枝の主日
    四旬節最後の主日(四旬節第五主日の次の日曜日)は、「受難の主日」または「枝の主日」と呼ばれます。典礼…
  4. パウロはどんな復活祭を祝ったのでしょうか。知りたいです。パウロは「主の来臨」が近いことを確信して…
  5. 聖ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)司祭の記念日は、4月7日です。ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)…

アーカイブ

PAGE TOP
Translate »