招かれるという種 年間第28主日(マタイ22・1〜14)

「冠婚葬祭」は、私たちにとって特別なことではないでしょうか。結婚式は皆なで、新郎新婦を祝い、喜びを分かち合います。その喜びは、1人より2人、2人より3人と人数が多いほど喜びも増すことでしょう。また、葬儀の時にも、1人で故人の死を悲しむより、人が多い方がその悲しみを分かち合うことができます。

きょうのみことばは、イエス様がファリサイ派や律法学者の前で「天の国」のことについて譬え話を語られます。イエス様は、「ある王が王子のために結婚の披露宴を催した。王は、披露宴に招いた人々を迎えに、僕たちを遣わしたが、その人々は来ようとしなかった。」と語られます。私たちは、結婚の披露宴に招待されるとき、よほどのことがない限り断ったりすることはありません。それが、王子の結婚の披露宴に招待されるということならとても名誉なことです。日本で言えば、皇太子の結婚式といってもいいでしょう。

人々は、考えられないような素晴らしい結婚の披露宴に招かれたにもかかわらずその招待を無視します。招待客に無視されても王は、「宴の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すべての用意が整えました。さあ、披露宴においでください。」と再び僕を遣いに出します。この「牛や肥えた家畜を屠って」というのは、最高のもてなしを意味しています。イエス様は、「『天の国』は、このような素晴らしい宴におん父が私たちを【招き入れて】くださっている」ということを教えてくださっているのではないでしょうか。

王に招待された人たちは、またしても無視します。彼らは、ある者は畑に、ある者は商売に出かけ、他の者たちは王の僕たちを捕まえて辱め、殺してしまいます。彼らにとって「王子の結婚披露宴」はあまり価値がないものであり、栄誉であることとも思っていなかったのです。それより、自分たちの生活や仕事を優先させる人、あるいは、暴力や殺人という残虐な仕打ちをしています。この箇所は、私たちにどのようなことを伝えようとしているのでしょうか。おん父は、絶え間なく私たちを「天の国」の愛に満ち溢れ、平安な状態に招いてくださっています。それに対して、私たちはどのように応えているのでしょう。

私たちは「天の国」を遠いところ、今の生活の場ではなくもっと別の場所と思ってしまう傾向があります。しかし、イエス様は「天の国は今のこの時であり、私たちが生活している場なのですよ」と言われているのでしょう。私たちは、今の生活の場の中で「天の国」の素晴らしさに気づかせていただくこと、その喜び【福音】を人々に伝えるという使命をいただいているのではないでしょうか。そのためには、万難を排しても選ぶことを求められているような気がしたします。

王は、僕たちに対してひどいことをした人たちに対して、怒って、軍隊を差し向け、これらの人たちを滅ぼし、その町を焼き払ってしましいます。マタイが福音書を書いた当時の教会は、ユダヤ人から改宗したキリスト者が多かったようです。マタイ福音書は、その中で弟子たちが福音宣教をすることの難しさや、人々が教えを受け入れずそればかりか侮辱し、弟子たちに対して暴力や迫害があることを伝えているようです。そのように拒み続けた彼らに対して、紀元70年にローマ軍によってイスラエルの民や町は滅ぼされてしまいます。

王は、再び「大通りに行って、誰でもよいから、出会う人を披露宴に招きなさい」と僕たちを遣わします。僕たちは通りに出かけていき、悪人であれ善人であれ、出会う人をみな集めてきます。私たちは「天の国の宴」ですから、「善人」だけを招くのは分かりますが、「悪人」を招くというのは理解し難いのではないでしょうか。僕である弟子たちは、「あなた方は行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。」(マタイ28・19)とイエス様から言われます。おん父の慈しみの愛は、【善人】や【悪人】に関係なくすべての人に対して注がれていると言ってもいいでしょう。

さて王は、招かれた客の中に婚礼の礼服をつけていない者がいるのに気づきます。王は、彼に「友よ、どうして婚礼の服をつけずに、ここに入って着たのか」と尋ねます。その人は、何も答えませんでした。王は、彼を給仕に「この男の手足を縛って、外の闇に放り出せ」と厳しく言われます。彼は、残念ながらこの披露宴に招かれて来たはずなのに、おん父のみ旨に応えようという気持ちがなかったのです。私たちは、「友よ」というおん父の愛の呼びかけに対して、私たちの精一杯の【愛】で応えなければならないのではないでしょうか。私たちは、「どうぞ主よ、罪深い私たちを憐れんでください。弱い私たちですが、あなたの愛と慈しみであなたの婚礼の披露宴に招き入れてください」と祈っていきたいものです。私たちは、日常生活の場でおん父からの【招き】に気がつき、喜んでついていくことができたらいいですね。

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