恵みに気がつくという種 年間第27主日(マタイ21・33〜43)

四季を通して色々なものが収穫できますが、秋は、特に「収穫の秋」と言われるほど、たくさんの果物や野菜を採ることができます。その一つとして「ぶどう」があります。ぶどう園に行って、「ぶどう狩り」をすると枝から出た一房のぶどうを取り、その実を口に頬張った時の甘酸っぱさは、なんとも言えないほど美味しいものです。

きょうのみことばは、ぶどう園の主人とその小作人との譬え話です。イエス様は、前の節に引き続き、エルサレムの神殿にいる祭司長や、民の長老に対して譬え話をされます。イエス様は、「1人の地主がいた。彼は、ぶどう園を造って、垣根を巡らした。その中に絞り場を設け、物見櫓を建てた。これを小作人に貸し与えると、旅に出た。」と話し始めます。

パレスチナ地方のように水が少ない地方では、「ぶどう酒」は飲み水と同じものです。私たちは、水がないと生きることができないように、彼らにとって「ぶどう」から取れる「ぶどう酒」は、「いのちの源」と言ってもいいでしょう。この喩えの地主は、自ら「いのちの源」を作る「ぶどう園」を作り、外敵から「ぶどう園」を守る垣根を作り、ぶどうを絞ってぶどう酒を作る「絞り場」を設け、またさらに、敵が攻撃してくるのを監視するための「物見櫓」を建て、万全の状態で小作人に「ぶどう園」を任されます。もちろん、この地主は、おん父ですし、小作人は、イスラエルの民と言ってもいいでしょう。

「収穫の季節が近づいたので、地主は収穫を取り立てるために、僕たちを小作人のもとに遣わした。ところが、小作人たちは僕たちを捕まえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちに」します。さらに、今度は多くの僕を送りますが、前の僕と同じようにされます。最後に地主は、自分の子なら恐れ、敬うだろうと思って小作人のところに遣わします。しかし、小作人たちは、「あれは跡取りだ。さあ、彼を殺して、その相続財産をわれわれのものとしよう」と話し合い、息子を捕まえて、ぶどう園の外に放り出したえ、殺してしまいます。

小作人は、どうしてこのような仕打ちをしたのでしょうか。もしかしたら彼らは、自分たちの働きの実りを自分の業績と思っていたのではないでしょうか。もしくは、主人から与えられた「仕事」と勘違いしていたのかもしれません。小作人は、たくさんの民の中から主人に、「いのちの源」を作り出すために選ばれたエリートと言ってもいいでしょう。しかし、彼らはその恵みに気がつくことができなかったのです。イザヤ書に「わたしは歌おう。わたしの愛する者のためにわたしの愛する者のぶどう園の歌を。……善い実が結ぶのを期待したが、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」(イザヤ5・1〜2)とあります。おん父は、ぶどう園で働く小作人を「愛する者」と呼んでいます。残念ながら、彼らは、自分たちに注がれている「愛」「恵み」「おん父のみ旨」を理解することができなかったのです。

小作人たちは、跡取り息子を見て「彼を殺し、その相続財産をわれわれのものにしよう」と言います。彼らは、自分たちが「相続財産」をすでにいただいていることすら、気がついていなかったのです。これらのことを私たちに置き換えてみると、とても恐ろしくなるのではないでしょうか。もし、私たちが自分たちに与えられた恵みに気がつくことなく、周りの人を羨んだり、才能がないと思って拗ねたり、しなければと思ってとりあえず仕事をしているとしたら、この譬え話の「小作人」と同じことをしているのかもしれません。

さて、パウロは、「何事も心配せず、すべてにおいて感謝をこめて祈り、かつ、願い、あなたが望んでいることを神に向かって打ち明けなさい。そうすれば、人間の理解を遥かに超える神の平和が、キリスト・イエスに結ばれているあなた方の心と思いを守ってくださいます」(フィリピ4・6〜7)と伝えています。私たちは、もし、自分のことが心配になった時、三位一体の神様に打ち明けてはいかがでしょうか。残念ながら「小作人」たちは、打ち明けることができず、自分たちで話し合うだけだったのです。ここにも、彼らの傲慢さが出てきてしまったのです。

イエス様は、最後に「家を建てる者たちが捨てた石、これが隅の親石となった。それは主が行われたことで、われわれの目には不思議に見える」と詩編の言葉を引用されます。パレスチナ地方の家の作り方として「隅の親石」は大切な要となる石です。家を建てる人は、まず、最初に「隅の親石」を決めるはずなのですが、あろうことか、その石を捨ててしまいます。たぶんこの人は、「その石」の重要さに気がつかなかったのです。おん父は、その捨てた石こそが、救い主メシアとされたのです。イエス様は、「神の国はあなた方から取り上げられ、神の国の実を結ぶ民に与えられる」と言われます。

私たちは、自分たちに与えられた使命、召命をおん父からの賜物、恵みとして感謝し、おん父のみ旨に叶った「実り」を捧げることができたらいいですね。

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