11. 司祭への道をまっしぐら

ヤコブは、親友アゴスチノの葬式を終えてから、再びケラスコの実家に帰り、畑で働いたり家畜の世話をして、父や兄たちを手伝った。そして十月にアルバ神学校に戻り、十二月八日に着衣した。アルバ神学校では、神学課程は四年であり、この四年間に教理神学と聖書が教えられ、三年目と四年目の二年間には倫理神学がこれに加わる。もちろん、このほかに補助教科としてグレゴリオ音楽、典礼学、教会法、芸術、司牧神学、ヘブライ語、ギリシャ語、教父学などの課目もある。神学三年の時に、教会の聖職叙階を受け、実際に教会の仕事を手伝った。

すなわちアルバ司教座聖堂や聖コマス、聖ダミアノ教会を初め、日帰りできる教会の信者たちにカトリック要理を教えたり、秘跡を授けたり、説教したり、一九○三年には聖書を各家庭にくばって歩いたりした。時には遠い教会には、土曜日の午後出かけ、日曜の朝早く神学校へ帰ってくることもあった。また三年間、少年のオラトリオ(集会場)でカトリック要理を教え、休み時間には、神学生たちはボッチェやゴムボールで遊んでいた。午後二時からは散歩に出かけ、木曜日は授業が休みなので、もっと遠く、時には往復六時間の所へ、散歩に出かけ、時には学友の家に行って、ブドウ酒や果物などを、ごちそうになった。アルベリオーネは、休み時間は、からだが弱いせいもあって、特別な場合以外はたいてい読書や勉強にあてた。

一九○三年(明治三六年)の夏休みの間に、次の日記を書いている。「私が勉強のことを心配すると、もうほかのことをすることができなくなるみたいだ。ほかのことをしようと心配すると、もう勉強ができなくなるみたいだ。」

アルベリオーネは、おもに歴史書の読書に時間を使い、その間に典礼書なども読んだ。当時、アルバ神学校の学生は多く、一九○六年(明治三九年)には百人以上もいた。ヤコブの同級生ベルナルド・グラネリスは、こう語っている。

「旧制中学課程を卒業後、大学予科二年は、哲学を研究する。その後、教理神学を四年間、倫理神学を二年間学ぶ。倫理神学の第一年目が終わると、司祭に叙階される。倫理神学の第二年目に新司祭は神学校に泊りながら、実習として教会へ行き、ミサを立てたり説教をしたりしていた。

当時のアルバ神学校には、二つの派閥があったるすなわち掃除派と反掃除派である。反掃除派は、待遇改善を叫んで掃除を中止し、掃除派の学生を、スト破りの労働者(Crumiri)と呼んでいた。ヤコブも、掃除派の一員であった。神学校では掃除が行き届いていないので、学生同士が『幼子イエスのサークル』(Circolo del Fanciullo Gesu)をつくり、手分けして聖堂、部屋、階段などの掃除を休み時間にしていた……」

ヤコブは司祭になる前の年(一九○六年)まで、七月、八月、九月の夏休みには、ケラスコの実家に帰り、スータン(聖職者用の長衣)やくつをぬぎ、つぎのあたったズボンをはいて、クワやカマや熊手を手に取り、畑で働いた。そして暇さえあれば読書した。父ミケレは、このころ、健康がすぐれず、長い間働くけずに療養していたが、一九○四年(明治三七年)十一月二十六日に亡くなった。

一九○三年五月に一九歳のアルベリオーネ神学生は、こう書いている。

「青年はわずかなお金を両親からもらい、それで学用必需品を買っていた。ある聖堂では、たくさんのローソクをつける習慣があった。それは信者たちの信心の現れであった。香部屋係は、大変熱心に信者たちにたくさんソーソクをつけることを勧めていた。信心を勧め、さらに教会の収入をはかるため、彼は道路上でも信者たちと立ち話をしていた。ある日、その香部屋係は青年と会って、こう言った。『買ってくれるローソクがなくて、明日はつけられないでいる。どうか、ローソク一本でもよいから買ってくれないか。』

青年はいつも聖母マリアに全幅の信頼を寄せており、毎日聖堂を訪問し、心臓の中の血液の混じりあうのを感じ、聖母マリアからの霊感を心に感じた。ポケットの中には、わずかなお金しかないのだけれども、これで用を足そうと考えて言った。

『今、私に要求されている聖母は、私のため何とかしてくださるだろう』と。

青年は期待を裏切られなかった。天の聖母は子としての信頼に目をとめられて青年の願いを聞いてくださった。青年は香部屋係にわずかなお金を渡してから、大きな慰めを感じ、さらに豊かな物質的援助さえも見つけるという深い確信を得たのである。青年は人のいい叔父の家を訪ねて行った。叔父は青年を歓迎し、互いに話し合っているうちに、青年の家のこと、その境遇のことを知った。また青年の父が、ずっと前から病気になってたくさん出費がかさんだこと、その結果、家族全員が非常に貧しくなったことを聞いて、百リーラを青年に与え、暮らしがよくなれば、もっと援助してもよいと約束した。X青年は、叔父に感謝し、……それから聖母マリアのもとに駆けよってみると叔父の買ってくれたローソクが燃えていた。その叔父は、以前家庭のいざこざから、りっぱな甥の家族を決して愛していなかった。しかし、あの時以来、叔父は住所を変え、今でも毎年(話題になってから三年後)先の家族を大いに助けている。その青年は今、大学の二年生の課程に通学しているが、これこそ、聖母マリアのいちじるしい恵みであり、常にこれを聖母に感謝している。

このエピソードは一九○○年五月、ヤコブがブラの神学校から出された、自分の将来についてまじめに心配していたころのものである。ケラスコの「恵みの聖母堂」ではとくに五月に、ローソクをつけて聖母を賛歌える習慣がある。青年はヤコブ青年、恩人は父方の叔父、ヤコブの洗礼の代父でもあり、ブラに住んでいた。ヤコブの父の病気で家の暮らしが苦しくなると、その叔父はヤコブの学費を出し、必要な本をたくさん買ってあげたのである。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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