9. アルバ大聖堂での霊感

ヤコブがアルバ大神学校に入会してから二ヶ月後に、二十世紀が幕を開けようとしていた。この年は聖年にも当たっていたので、レオ十三世教皇は、教会の古い習慣に従い、この新年にあがない主キリストへの信心を荘厳に行うよう『ウルビ・エト・オルビ』という回勅を発した。十九世紀と二十世紀を分かつ一八九九年(明治三三年)の十二月三十一日の真夜中の荘厳ミサに引き続き、翌日の元旦にかけて、アルベリオーネはアルバ司教座聖堂で夜間の聖体訪問をした。時の教皇レオ十三世は、二十世紀の始まる新年にそなえ、すべての教会で大みそかに深夜ミサや聖体訪問をするように勧めていた。それでアルバ大聖堂でも、その夜は大勢の信者がミサにあずかり、ご聖体の前で祈った。アルベリオーネは質素な背広を着て、ミサに続いて四時間ほど、聖堂から出入りする人たちには目もくれず一心に祈った。ここでヤコブは自己の使命を自覚し、歩むべき道を決定したのである。のちにヤコブ・アルベリオーネ神父は、当時を回想して、こう書き残している。

「前世紀と今世紀の境を分ける夜は、かれ(ヤコブ)特有の使命と、そのうちにこそ彼の将来の使徒職が生まれ育っていくはずの固有の霊性にとって、決定的な夜であった。

アルバの司教座聖堂では、真夜中の荘厳ミサに続いて顕示された聖体の前で、荘厳な礼拝が夜を徹して行われた。哲学科と神学科の神学生には、めいめい思いのままに聖堂にとどまる自由が与えられていた。これに少し先だって、かれは生まれて初めての一つの大会に出席したが、その席上でトニオロ氏が行った穏やかではあるが深みがあり、心服せずにはおられないよう講演の要旨をよく悟った。かれはまた、まさに始まろうとする世紀のために祈るようにとのレオ十三世の招きをもすでに読み終えていた。

レオ十三世もトニオロ氏もともに教会の必要・悪の新しい手段、印刷には印刷をもって、組織には組織をもって対抗する義務、大衆の中に福音を浸透させる必要、社会問題……などについて語った。聖なるホスチアから一条の特別な光、すなわち“みんな私のところに来なさい”とのイエスの招きの今までより深い理解を与える光が下った。かれには偉大な教皇レオ十三世の心が、教会の招きが、司祭のまことの使命がわかるように思えた。反対者が利用している手段を使って今日の使徒とならなければならないとトニオロ氏が説いておられたことが、はっきりしてきた。主のために、そしてまた、自分が生活をともにするはずの新世紀の人びとのために何事かを果たすように準備する義務を負っているということをひしひしと感じた。比較的たしかに自分が無であることを自覚し、同時に聖体のうちに“世の終わりまで、日々私はおまえたちとともにいる”と言われる主を感じ、ホスチアにおられるキリストのうちに光、養い、慰め、悪への勝利を得ることが出来るのだと実感した。空想で未来をはいかいしているうちに、新世紀の寛大な人たちはきっと自分が今感じているようなことを感じるのではないかと思われるのだった。また、組織に加入することにより、“団結しなさい。もし、われわれが各自孤立しているのを敵が見つければ、きっとひとり、またひとりというふうにわれわれを打ち負かしてしまう”と繰り返しながら、トニオロ氏がその必要を強調している団結を実現できるにちがいないと考えた。

かれはすでに神学生仲間と思いを分かち合っていた。かれはかれらと、かれらはかれというふうに、皆が聖ひつからくみ取っては分かち合っていたのである。

荘厳ミサのあと、かれは四時間祈り続けた。この世紀が聖体のキリストにおいて生まれるように。新しい使徒たちが法を、学校を、文学を、印刷を、風俗を刷新するように、教会が宣教の新たな飛躍に遂げられように。使徒職の新しい手段を善用するように。社会一般がレオ十三世の回勅の偉大な教えを受け入れるように。(神学生たちは司教座参事会員キエザ神父からこの回勅の解説、とくに社会問題、教会の自由、新しい使徒の群れの必要について聞いていた)以上のようなことがかれの知性と心の中にしっかりと根をおろし、これらが不断にその思いと祈り、内的働きとインスピレーションを支配するようになった。教会と新世紀の人々に奉仕し、組織の中にあって他の人びととともに働く義務を負っているのだと痛感した。翌朝一○時ごろ、その内面のいくばくかがおのずとかれの表情ににじみ出ていたらしい。というのは、ひとりの神学生(のちの司教座参事会員ジョルダーノ)がかれと出会って、その驚きを表したから。

それ以来、こうした考えが読書、勉強、祈り、養成のすべてを鼓舞した。初めはおぼろげだった考えは年ごとに明らかとなり、しだいに具体化して行った。」

ヤコブは、このころの手記に「義務を果たせ」と次のように書いている。

「おまえは自分の義務を果たして居るのだろうか? 義務感のない人はわざわいだ。何でもあれ義務に背むくのは魂の中に裂け目をつくり、悪魔に入りこむすきを与えることである。それは気力と光を弱めることである。それは混乱、憎しみ、および不幸の原因となる。

義務は神に喜ばれるおくり物であり、しかるべき時に、しかるべき方法で、その時にできうる限り完全に果てさなければならない。ほかのことはすべて忘れて、ただ一つのことだけをしなければならないという風に義務を果てさなければならない。義務は疲労や苦痛に耐えなければならない。善意をもって義務を愛するならば疲労苦痛も功徳となり、尊重すべきものとなり、甘美なものとなる。なぜなら愛で調味されてあるからだ。そうでなければ疲労や苦痛は有害となり、軽蔑すべきものとなり、いやらしいものとなる。なぜなら憎しみで調味されてあるからだ。今果たすべき義務は、今神が示しておられるご意志である。その義務を怠るのは、この瞬間に神の望みを行わないことである。毎晩、この点について糾明しよう。義務の特権は愛をつくり出すことにあると私は信じる」と。

アルバの神学生たちは、まず義務に徹しよ、規則正しく、こつこつと毎日義務を果たせと教育されていた。ヤコブもこの教育方針に従って自己を鍛練し、神父になってからも決まった時間に決まった方法でミサをささげ、黙想し、説教の準備をし、人びとの告白を聞き、約束を守った。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

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