愛の心で「いさめる」という種 年間第23主日(マタイ18・15〜20)

私たちは、残念ですが人の噂や、陰口で会話が盛り上がることがあります。そして、枝葉が付き、事実とかけ離れた物事と成ってしまう危険性もあります。当の本人は、周りの人が自分のことをどのように言っているのか、または、思われているのか分からないのです。もし、本人に直接伝えることができたらどんなに平和になるか分かりません。

きょうのみことばは、「兄弟をいさめる」ということをイエス様が弟子たちに伝える場面です。イエス様は、弟子たちに「もしあなたの兄弟が罪を犯したなら、行って2人だけで、彼をいさめなさい。もし彼があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得ることになる」と言われます。この成功例は、2人の中に素直で謙遜な気持がある場合ではないでしょうか。いさめる方は、罪を犯している人に対して、「自分の間違いに気がついて、神様との関係がうまくいくようにと願う」という【愛の気持】で相手をいさめているのではないでしょうか。いさめられる方も、「自分のためにここまで、心配してくれている友がいる」ことに気がつくことでしょう。そのため、イエス様は、「もし彼があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得ることになる。」と言われているのではないでしょうか。

私たちは、このようなとき注意しなければならないことがいくつか出てきます。一つは、罪を犯した人を「裁く」傾きに注意をするということです。罪を犯すことは悪いことですが、なぜそうなったのか理由があると思うのです。または、本人も自分が犯した罪に対して気がついていない場合もあります。そのような人に最初から「あなたは罪を犯している。間違っている」と決めつけてしまうとお互いの関係は、うまくいけません。そうするのではなく、その人の話しをよく聴き、なぜそうなったのかを知ることで、相手を理解することができます。そして、逆にいさめた方が間違いを犯した時には、今度は、相手がいさめてくれるかもしれません。

もう一つは、【自我】が出る危険性があることです。私たちの中にある「正義感」が強すぎて、「私がこの人を何とかして助けないと」という気持が出てきます。そうなると、自己満足に終わってしまいますし、たとえ相手が自分の間違いに気がついたとしても、お互いの関係がぎくしゃくしてしまったり、浅い関係のままになってしまったりするかもしれません。エゼキエル書でおん父は、「……わたしの口から出る言葉を聞いたらな、それをわたしの警告として彼に告げなさい」(エゼキエル書33・7)と伝えています。私たちが相手をいさめる時、それは、あくまでも「私」ではなく「おん父」の言葉と言うことを忘れないようにしなければならないのではないでしょうか。

イエス様は、「もし彼が言うことを聞き入れなければ、ほかに1人か2人を連れていきなさい。……もし彼らの言うことを聞き入れなければ、教会に申し出なさい。」と言われます。友達を「いさめる」ことは、相手に対して「間違いに気がついて欲しい。神様との関係を修復して欲しい。」という【愛】の心が大切と言ってもいいでしょう。イエス様が言われる「ほかに1人か2人を連れて」とか「教会に申し出なさい。」というのは、1人では、限界がありますし、先ほどの【自我】が出る危険性もありますので、複数の人に「助けと祈り」によってその人が「立ち返る」ことを願うことが大切なのです。

イエス様は、「もし教会の言うことも聞き入れなければ、彼を異邦人や徴税人と同様にみなしなさい」と言われます。ここに教会の決定に対してとても責任と権威の重さがあるのではないでしょうか。イエス様は、この後に、「あなた方が地上でつなぐことはすべて天でもつながれ、あなた方が地上で解くことはすべて天でも解かれる。」と言われています。1人の人をおん父の方に立ち返らせると言うことは、地上の教会と天の教会の【愛の祈り】が不可欠ということかもしれません。イエス様は「天のおられるわたしの父はそれをかなえてくださる」と約束されていますし、「これらの小さい者が1人でも滅びることは、天におられるあなた方の父のみ旨ではない」(マタイ18・14)とも言われておられます。私たちは、友をいさめるとき、おん父の愛に信頼できたらいいですね。

イエス様は、「2人また、3人がわたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる」と言われます。私たち一人ひとりの中にイエス様は、おられます。私たちが、1人の人を「いさめる」ということは、友に自分の中におられるイエス様のことを「忘れているか、または気がついていないか」を再び気づかせるということではないでしょうか。私たちは、相手の間違いを「責める」のでも「裁く」のでもなく、私たちの中におられる「イエス様の愛の心」で兄弟を「いさめる」ことがおん父のみ旨なのかもしれません。私たちは、いさめる時も、いさめられる時も、イエス様が私たちの中におられるということに気づくことができたらいいですね。

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