8. アルバ大神学校での生活

一九九○年(明治三三年)の十月から、一六歳のアルベリオーネは、アルバ大神学校で哲学の勉強を始めた。同級生は一七人。そのうち司祭になったのは一一人であった。アルベリオーネは新しい環境にとけこみ、規律を守り、勉強や信心を熱心に行っていた。神学生は、神学を始める前に、必ず哲学を学ぶ。

哲学は、人生の目的とは何か、人間の魂は不滅かどうか、人間はいかに生くべきか、苦しみや死の意味は何か、しあわせとは何か、人格とは何かなど、人生や世界の根本問題を掘り下げて考え、その解決を求める学問である。これによって、人間や世界が創造主と無関係に独立して存在するものではなく、かえって絶え間なく助けられ、支えられながら存在していることがわかってくる。宗教はそこから出発する。司祭にとって、哲学は物事を筋道立てて考え、それが人に教えるためにも、自己やまわりの人間、社会、世界の根本的仕組みを知り、自然界の原因をさぐり、神とこの世界との関係を考え屡ためにも必要である。

アルベリオーネ神父は、このような哲学の素質をもとにして、現代の科学至上主義や技術万能主義の病に、次のような鋭いメスを入れている。

「科学、発明、発見などを一つ一つと、それらの総体は、創造と題する膨大な書物の一章である。それらのおのおのは神の創造的なみわざの認知であり、人が神のみもとに行くのを助けなければならない。それは、ちょうど目、舌、意志などが人間のために役立つのと同じである。自分はどこから来、どこに行き、なぜ生きているのかということを自問しないということがある人びとに起こりうるように、同様のことが、知識、発明、発見などについても起こりうる。いったい、誰がこれらのものをつくったのか、なぜ、私たちに与えたのか、なんのために役立つのかと問わないのである。『すべてはあなたたちのもの、あなたたちはキリストのもの、キリストは神のものである』(コリント前3.22-23)という聖パウロのことばに従えば、イエス・キリストと神に秩序づけられている人間に使えるべきである。」

さらに神父は、科学と哲学と神学の関係を次のように考察する。

「深められた科学は神への道であるイエス・キリストに導く。つまりイエス・キリストの啓示を受け入れる準備をする。このキリストは神として事物を創造しながら、人びとが、それを知るように照らし、人を高めるために自然の中には刻印されていない真理を啓示しようと欲し、こうして、もし人間が理性をよく用い、啓示を受け入れて信じるならば、人が神を見ることができるように準備しようとのぞまれるのである。

罪は民衆の風俗、宗教行事に迷いをもたらしたように、哲学や科学にも迷いをもたらした。人間の高慢のために、『あなたたちは神のようになるだろう』という誘惑に負け、哲学や科学は神学や信仰の岸辺に至らず、人間に奉仕せず、かえってこれを奴隷とし、こうして人間が目的を達成するのを妨げるのである。科学は高貴な武器であるが、たびたび人間に対抗して使用される。だが、私たちイエス・キリストのみわざの継続者である司祭は、科学を支配するという私たち務めを果たしているだろうか。知識人たちが、かれらの学問を深め、学問の根底にイエス・キリストと神を見い出すようにかれらを照らし、導くという司祭のつとめを果たしているだろうか。司祭は、この方面で働くために、また、知識人を理性から天啓に、人文科学から神学へと高めるために、彼らがいたるところまで彼らをたずねて行くべきである。ちょうど神の御子も道に迷った羊のような人間を見つけ、今日聖座のプログラムはピオ十世以前よりもずっとゆたかに人文科学を学ぶように神学生に要求しているのである。」

神学生時代のヤコブは、哲学と神学の素質を身につけながら、祈りの生活をいっそう深めて行った。知識一辺倒の教育だけでなく、感情を清め、まわりの人に対する思いやりや奉仕を行う人間全体の教育である。ヤコブは、「キリストにならいて」という修養書をよく読み、忍耐、謙そん、親切などの徳を共同生活の中で実行した。また哲学教授のキエザ神父に、しばしば心を打ち明けて自分の精神生活を指導してもらっていた。ほっそりしたきゃしな体質でありながら、その鉄のような意志力で、厳しい勉学と規律の遵守に精進の毎日を送っていた。

この神学校は、家庭的雰囲気につつまれ、規則正しい、深い霊性の漂う活発な道場でもあった。そこには徳の高い、熱心な、経験豊かな教授たちがいた。学生も教授も同じ神学校に泊りこみ、掃除から勉強、スポーツ、散歩、信心業にいたるまで、お互いに励まし合い、補い合って共同生活をしていた。同級生はいずれも品行方正で、散歩の時など、勉強や未来の布教活動について話し合い、現状をいかに改善、向上させて行くかも議論し合った。

ヤコブは栄養失調気味でやせ細り、スポーツタイプではなかった。スポーツが役に立つとは認めながらも、自分にとっては時間つぶしのように思われた。むしろ倫理神学や社会神学に興味を寄せて、暇さえあれば、その方面の読書をしていた。ヤコブは同級生、ベルナルド・グラネリス(Bernardo Graneris 1883-1965)はこう語っている。「アルバ神学校では、生徒がみんな一家族として仲よく生活していた。ヤコブ・アルベリオーネは非常にひかえ目で、ほかの神学生たちと一緒に遊ぶことはめったになかった。神学校でボッチェの球(ヤシの木で造ったボーリング球の大きさ)遊びがはやっていたが、しかしヤコブは、『自分は遊べないから』と言って、みんなの遊びに加わらなかった。それで、小さなボッチェの球(これはゴルフ球位の大きさ。ボーリング球大の球を、この小球めがけて、最も近くに近づけたものが勝ちという遊び)を好きな所に投げる役目がアルベリオーネに回ってきた。」ほかの同級生ジョゼッペ・カロリオ(Giuseppe Calorio)によれば、「私はアルベリオーネの隣の席に座っていた。アルベリオーネは、いつも読書に没頭し、しょっちゅう両手で頭をかかえて首の骨をポリポリいわせていた。私はそんなとき、『アルベリオーネ、何をしているんだい』とたずねたものである。すると、彼は黙って笑うだけであった。」

アルベリオーネは、アルバ教区長で徳の高いレ司教をたいへん尊敬していた。当時ピエモンテ州の司教の中で最も年を取っていて、規則に厳しく、一見近寄りがたい存在に見えたが、非常に頭のひらけた、均衡のとれた人で、現代主義の危険を見抜いて最初に警告を発した方である。また教会内の司牧だけでなく、社会、経済の建てなおし運動の先駆者でもあった。この進歩的な司教はアルベリオーネをかわいがり、将来に期待をかけていた。司教は、神学、哲学、教会法、社会学に造詣が深く、毎日曜日に神学生たちに講話をしていた。

学生時代のアルベリオーネは、学者は肌の秀才ではなかったが、精紳力と指導力にかけては抜群であった。その上、信心深いので校長をはじめ先生たちにかわいがられ、神父になる前からほかの神学生たちの霊的指導を任されていた。ヤコブの成績簿から調べると、一九○一年二月の試験で理論哲学は一○点満点、倫理哲学は九点であるが、学期末の六月の点数がない。また三月以降月謝も収めていない。しかし十月には理論哲学の試験を受けている。このことはヤコブが一九○一年の春と夏に実家の畑仕事を手伝うために家に帰った事実と一致する。父親が病気でだんだん働けなくなったからである。その年の十二月八日、同級生は聖職者のスータンを着衣したのに、ヤコブは、入学の際の条件通りに一年先にこれをのばしている。

アルバ神学校では、説教、黙想のほかに霊的読書や近代の聖人伝の朗読などが盛んに行われていた。とくにヤコブが好んでいたのは、聖フランシスコ・サレジオと聖アルフォンソ・デ・リゴリと聖ヨハネ・ボスコと聖コットレンゴの精紳であり「キリストにならいて」の生きかたであった。

こうした種類の読書の影響であったろうか、そのころの手紙の中には、次のような修徳的な、実践倫理的な文章が多い。
「急いで、たくさん、うまく行うことは、ほとんどというよりむしろ決してできないことである。だから、わずかなことを完全に行うほうが、神の前にも人の前にもよりよいことである。私たちには限界があるから、多くのことを不完全に行うことは、愛を分散させることになる。“分かれ争う国は、荒れ果てる”(マタイ12.25)もはや何も味あうことができず、何についても美しいとも甘美であるとも思えなくなる。そうなれば堕落し始め、善に対する好みも失われてくる。味を忘れ、愛が冷えると、真理を疑い出し、やがて否定するようになる。

大きな恵みは、大きいことを行うところにあるのではなく、小さいことやしなければならないことをすべて、まじめに行うところにある。一つ一つの行為を、必要な時間をかけて行う。そうすれば事はりっぱにできるであろうし、神と自分の心を満足させるであろう。さらに、それを行っている間は、他のことをする義務はなく、ひどく疲れる必要もない。
……炎よりも煙をよけい出している灯を見る時、それがよく燃えていないのを説明するのに多くのことばはいらない。人についても同様である。人が虚栄心に高ぶり、ガスを発生し、香水や香料を追い求める時、彼らには油が足りないとか、あるいは水が入っているとか私的するのに、多くのことばはいらない。

教えたり、勧めを与えたりする時、知識の少ない人は、知識で他人をなぐさめることができないとわかっているから、尊大にふるまって他人を黙らせようとする。彼らは論理をわきまえずに言い張るだけである。彼らにたずねる人に対しては、自分たちよりすぐれているとわかり、自分たちには、それだけの才能も知恵もないので、激しく妬み、意地悪く接する。やさしく教え、謙そんに勧めを与えるには、大そう美しいことであり、慰め深く、愛すべきことである。」

さて、青年は夢をもてとか大志をいだけとか、よく言われるが、青年が夢をもつ動機には、各個人にとって様々なものがある。ヤコブにとっては、二十世紀へ突入する世紀の転換期が夢をいだくための大きな刺激となった。
次にヤコブを取り巻く当時の情況をのべてみよう。

・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年

おしらせ
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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