私のイエス様という種 年間第21主日(マタイ16・13〜20)

ある時、「どうしてペトロは、二つの鍵を持っているのですか」と質問されているのを耳にしました。確かに、ペトロを描いた絵や立像で、ペトロは金と銀の二つの鍵を持っています。この金の鍵は、天の国の権威を示しており、銀の鍵は、地上に置ける教皇の霊的司牧権能を示しているようです。

では、私たちの生活の中で【鍵】は、どのような意味があるのでしょうか。家の鍵、車の鍵、最近では、IDやパスワードのようなパソコンの鍵もあります。これらの鍵は、家や自動車などを侵入者から「守る」ということでもありますが、「責任」という意味もあるのではないでしょうか。鍵を開けて家に入るとき、自分はこの家を守るという「責任」や、自動車に乗る時も安全運転をするという「責任」が起こって来るのではないでしょうか。

きょうのみことばは、ペトロがイエス様を「メシア」と信仰告白する場面と、イエス様がペトロに天国の鍵を与えると言われる「首位権の約束」の場面です。イエス様は「フィリポ・カイサリア地方」に行かれた時に、弟子たちに「人々は、人の子を何者だと言っているのか」と尋ねられます。「フィリポ・カイサリア地方」は、異邦人が多くいた地方のようで、旧約時代では、ここに住んだイスラエルの民がその地方に広まっていた神々を信じたようです(歴代誌上5・25〜26)。その地方で、人々がご自分のことをどのように言っているのかと尋ねられたのには、「異邦人の中にもイエス様の噂が広まっている」という意味があるのではないでしょうか。

弟子たちは、「洗礼者ヨハネだと言うものもあれば、エリアだと言うものもあります。……」と答えます。異邦人が多いこの地方の人々は、神々を信じるという傾きから、「神」という存在に「飢え」や「渇き」を持っていたのではないでしょうか。彼らは、身近なところに信仰の対象を求め、「神」や「預言者」に対して敏感だったのかもしれません。そのために、イエス様は、ご自分のことを彼らがどのように言っているのかと尋ねられたのではないでしょうか。

イエス様は、弟子たちの答えを聞かれた後に「それでは、あなた方は、わたしを何者だと言うのか」と尋ねられます。イエス様は、周りの人がどのように言っているかということではなく、「あなた方は」と尋ねられます。このイエス様の質問は、私たち一人ひとりに対しての質問でもあるのではないでしょうか。「わたしはイエス様のことを、どのように思っているのか」と振り返ってみるのもいいでしょう。私にとってイエス様は、「優しい方」「教え導かれる方」「側にいてくださる方」「厳しい方」といろいろ浮かぶのではないでしょうか。さらにそこから「私」と「イエス様」との関係を掘り下げていくと、もしかしたら、「私の都合のいいように」イエス様を見ているの「私」に気がつくかもしれませんね。

ペトロは、イエス様の「あなた方は、わたしを何者だと言うのか」という質問に対して「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えます。この箇所は、他の福音書と比べると不思議なことに、マタイだけが「あなたは生ける神の子」と記しているのです(マルコ8・29、ルカ9・20)。マタイは、どうして「あなたは生ける神の子」と付け加えているのでしょうか。マタイはイエス様を「いつもともにおられる神」(マタイ1・23、マタイ28・20)として表しているのかもしれません。それで、いつも「『生きて』おられるお方」としてイエス様を表したのではないでしょうか。このように考えますと、ペトロの言葉は、私たちの心の中にとても身近なイエス様を感じさせるような気がいたします。

イエス様は、ペトロのこの答えを聞かれ「シモン・バルヨナ、あなたは幸いである。あなたにこのことを示したのは人間ではなく、天におられるわたしの父である。」と言われます。ペトロは、素直な気持で彼の心に語りかけた「おん父」の言葉を口に出したのです。それで、イエス様は、「あなたは幸いである」と褒められたのではないでしょうか。私たちは、時として、「自分なりの色」をつけて周りの人に伝えたり、行動をしたりする傾きがあるのではないでしょうか。ちょっと、振り返ってみるのもいいかもしれません。

イエス様は、続いてペトロに「……あなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でもつなぐことは、すべて天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、すべて天でも解かれる」と言われます。イエス様は、ペトロに「天の国の鍵」を与えることによって、「地上」と「天の国」との「権能と責任」をお与えるほど私たちを愛されておられたと言ってもいいでしょう。

イエス様は、最後に「自分がメシアであることを誰にも話さないように」ときびしく言われます。これは、本当にイエス様のことを理解しようとする人に伝えると言うことではないでしょうか。天の国の鍵は、ペトロを通して代々教皇様に渡されています。私たちは、そのお恵みを頂いて教会の一員として、本当にイエス様を受け入れる人に、おん父の言葉を素直に伝えていくことができたらいいですね。

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