小さいものという種 年間第16主日(マタイ13・24〜30)

私たちは、人の悪い所には敏感に反応します。それは、教会共同体や家庭、学校や職場、地域社会などでも起こってきます。始めは、その【悪】に対して【正義】を使って対抗しているつもりが、相手を傷つけたり、糾弾したり、被害者と加害者が逆転したりしてしまう場合も起こってきます。私たちは、「あの人の間違いを、正さないと」とか「私が立ち上がらないと、間違った方向に行ってしまう」とか、ついつい【自我への傾き】が起こってしまいます。では、そのようにならないためには、どうすればいいのでしょうか。

きょうのみことばは、『毒麦の喩え』『芥子種の喩え』『パン種の喩え』の三つの譬え話が出てきます。これらの譬え話で共通することとして『天の国は○○』という言葉がでてきます。イエス様は、弟子たちを含め集まって来た人々に対して「天の国とはどのような所か」と喩えを用いて話されています。『毒麦の喩え』の前に後の二つの譬え話を見たいと思います。

『芥子種の喩え』と『パン種の喩え』の譬え話の共通するものとして【小さなもの】ではないでしょうか。芥子種は、とても小さい種ですが生長するとどんな野菜より大きくなります。パンを作るために用いる【パン種】も僅かものですが3サトン(38リットル)の量の小麦粉に混ぜると全体が発酵してふっくらしたパンになります。イエス様は、この二つの喩えを用いて天の国は【小さなもの】の働きによって【大きな実り】へと変化していくということを伝えているのではないでしょうか。私たちは、何か大きなことをしなければ社会は変わらないとか、もっと大人数でしなければこの計画が実行しないというのではなく、【小さなもの】から始めることも大切なのかもしれません。

さて、イエス様は、『毒麦の喩え』で、この【小さなもの】の働きをどのように伝えておられるのでしょうか。イエス様は、「ある人が善い種を自分の畑にまいた」と言われます。主人は、自分の畑にすべて【善い種】を蒔くのですが、なぜか、畑の中に毒麦が混じってしまっています。僕たちはその【毒麦】を発見しすぐに、「なぜ毒麦が生えたのでしょうか」と主人に知らせます。ここで、注目したいのは、種を蒔いた主人ではなく、「僕たち」ということです。種を蒔いた主人はいつも畑の様子を見守っています。もちろん、「毒麦」が生長していることも知っていたはずです。あえて主人は「毒麦」のことだけに気をもむようなことをなさらなかったのです。しかし、僕たちは、主人が種を蒔いた畑に「毒麦」が生えていたことを許すことができなかったのです。私たちは、時々イエス様がすでに許されていることに対して不満を持ってしまい、「主人」と「僕たち」が逆転してしまう傾きがあるのではないでしょうか。

主人は、僕たちに「それは敵意をもつ者の仕業だ」と答えられます。その答えを聞いた僕たちは、きっと善かれと思って主人に「それでは、行って毒麦を抜き集めましょうか」と言います。ここでも、僕たちは主人より先に「行動」しようと対策を講じようとします。主人は、僕たちに対して「それには及ばない」と僕たちの行動を抑えます。主人であるイエス様は、「毒麦」が生えて来たことに対して「そんなに目くじらを立てて問題にすることではない」と伝えておられるのではないでしょうか。私たちは、主人より先に、「私が何とかしよう」思ってしまうことはないでしょうか。この箇所を黙想しながら、自分をちょっと振り返ってみてもいいかもしれませんね。

主人は、「毒麦を抜こうとして、善い麦まで抜いてしまうかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」と言われます。ここに主人であるイエス様の“いつくしみの愛”があるのではないでしょうか。イエス様は、私たち一人ひとりの中に善い種を蒔かれてくださいました。しかし、時として私たちは、イエス様の道をそれてしまう傾きをもっています。パウロは、「霊もわたしたちの弱さを助けてくださいます。」(ローマ8・26)と言っています。私たちは、悪に傾いてしまったり、躓いてしまったりする弱い者なのです。ですから、私たちは、パウロが言うように「聖霊の助け」が必要なのです。

私たちは、自分の周りの「間違っている人(物事)、正しくない人(物事)」に対して「正そう」としてしまいます。確かにそのこと自体は、善いことだと思うのですが、相手を追いつめてしまう危険性も出てきます。大切なことは、相手を知ること、受け入れることではないでしょうか。お互いが分かり合えるときそこには、“いつくしみの愛”が生まれてきます。私たちは、パウロがいう「弱いわたしたち」だということに気がつくことができたら、互いを許すことができるのではないでしょうか。天の国は、みんなが弱い者(小さい者)ということに気がついている人の集まりなのかもしれません。私たちは、悪に対して糾弾ではなく【いつくしみの愛】をもって包むことができたらいいですね。

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