イエス様の軛を受け入れるという種 年間第14主日(マタイ11・25〜30)

今の社会は、「ストレス社会」と言ってもいいでしょう。最近「キラーストレス」という言葉が出て来て、過度のストレスを放っておくと死に至るということもあるそうです。このストレスを解消するための一つとして、マインドフルネスという瞑想があるそうです。今ほどではありませんが、イエス様の時代にも「ストレス」が人々を苦しめていたのかもしれません。

きょうのみことばは、イエス様が弟子たちに「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われる場面です。イエス様は、弟子たちともに宣教に出かけられますが、イエス様の教えを受け入れない人々も多かったようです。きょうのみことばの少し前の節に「その後、イエスは、多くの奇跡を行われたにもかかわらず、悔い改めなかった町々を非難し始められた。」(マタイ11・20)とあります。もちろん、イエス様の教えを聞き、イエス様について来た人もいました。そのため、イエス様は弟子たちがいる前で、おん父に賛美の祈りをお捧げになられたのです。

イエス様は、「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。あなたは、これらのことを知恵ある者や賢い者に隠し、小さい者に現してくださいました。」と祈られます。これは、一見矛盾するように思われます。イエス様は、町々を歩かれ、人々に教えられ、秘跡を行われたのにもかかわらず、悔い改めない町の人々に対して、「……カファルナウムよ、お前は天にまであげられると思っているのか。お前は、陰府(よみ)にまで落とされる。もし、お前の所で行われた奇跡が、ソドムで行われていたなら、ソドムは今日まで残ったに違いない。」(マタイ11・23)と言われています。カファルナウムは、ガリラヤ湖の北の方で交通の便が発達し、栄えていた町でした。この町は、イエス様の宣教の拠点と言ってもいいでしょう。

イエス様は、このカファルナウムに住んでいるユダヤ人たちの中の、ファリサイ派や律法学者に対して非難されたようです。ソドムは、創世記に出て来る堕落した町としておん父に滅ぼされた所でした(創世記19章)。ユダヤ人たちは、このソドムのことは知っていましたし、「自分たちは決してあのソドムの人たちのような者ではない」と自負していたのでしょう。しかし、イエス様は、そんな傲慢な人々に対してこのようなたとえを用いて話されたのです。きょうのみことばの中の「知恵ある者や賢い者に隠し」とは、自分たちはソドムの町の人々のような罪人ではない、と思っていた人々を指しているようです。私たちも、注意しないといつの間にか、周りに対して批判をしたり、見下したりする傾きが出てしまうかもしれませんね。

それに対して、「小さい者」とは、律法を守ることができない貧しい人や、徴税人や娼婦のような、ユダヤ人たちから「罪人」と言われている人たちでした(ルカ18・11)。彼らは、自分たちが他のユダヤ人たちから「罪人」というレッテルを貼られていることを知っていました。そのため、「何とかして救われたい」と思っていたのです。きっと、彼らの心の中にイエス様の教えが染み込んで来たのでしょう。イエス様は、ご自分の教えを受け入れた人に対して、「おん父に賛美の祈り」を捧げられたのです。

イエス様は、「労苦し、重荷を負っている者はみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とご自分のところに来た「罪人」と言われている人や一緒に宣教に出た弟子たちに対して言われます。イエス様は、彼らの苦しみをご存知でしたし、何とかして彼らの苦しみを癒したいと思っておられたのです。イエス様が言われる「労苦して、重荷を負っている人」とは、精神的にも肉体的にも限界を感じている人たちのことを指しているようです。私たちの生活の中では、「私の力ではどうにもならない」と思うような時、長い緊張の状態を余儀なくされるような時、どこかで一息つきたいと思う時、という場面が起こるのではないでしょうか。そんなとき、イエス様のこの言葉を思い出すことができたらいいですね。

イエス様は、「わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの軛(くびき)受け入れ、わたしに学びなさい。」と言われます。私たちの生活では、軛を目にすることはほとんどありません。軛を私たちの生活で言うのでしたら、自動車の車軸と言ってもいいかもしれません。自動車は、ハンドルの動きが車軸に伝わり左右に曲がります。しかしもし、車軸が自分勝手にハンドルとは違う方向に動いてしまうなら、大事故になってしまいます。イエス様は、ご自分の「軛を受け入れ、わたしに学びなさい」と言われます。それは、「私」という「自我」を捨て、イエス様に【お委ねする】と言うことではないでしょうか。

私たちは、私自身を束縛する「傲慢な軛」でなく、重荷から解放してくださるイエス様の「柔和で、謙遜な軛」を頂くことができたらいいですね。

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