永遠の命を頂くという種 キリストの聖体(ヨハネ6・51〜58)

以前、ミサの説教の中で「私たちは、ミサに与る前に、それぞれホスチアをチボリウムに入れます。そして、聖体拝領の時には自分が入れたホスチアを頂くということはほとんどありません。これが聖体を分かち合うことです。」と聞いたことがあります。私たちは、ミサに与るときに何気なく、チボリウムに聖体を入れるのではなく、自分の気持や意向を合わせて入れるともっとお互いが教会共同体という感覚を覚えるのではないでしょうか。

きょうのみことばは、イエス様が「わたしは、天から降ってきた生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる。しかも、わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である。」という言葉から始まっています。イエス様は、2匹の魚と5つのパンを増やされ群衆の空腹を満たされた後に、「わたしが命のパンである。」(ヨハネ6・35)と人々にお話しされます。人々は、自分たちが頂いた恵みに満足して、イエス様の所について来たのですが、イエス様が何を話されているのか分かりませんでした。ユダヤ人たちは、「この人は、どうして自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」と互いに激しく議論し始めます。

イエス様が言われた、「わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である。」ということは、【聖体】の意味しているようです。イエス様は最後の晩餐の時に弟子たちに、「取って食べなさい。これはわたしの体である。」(マタイ26・26)と言われます。きっと、弟子たちも、ユダヤ人たちもイエス様が何を言われているのか分からなかったのではないでしょうか。私たちは、洗礼の恵みを頂いているので、ミサの中で頂く【聖体】を「キリストの体」として拝領いたします。しかし、洗礼の恵みを頂いていない人にとっては、全く分からないものですし、食べられるかどうも分からないかもしれません。司祭はミサの中で「キリストの体」と言って私たちに【聖体】をくださいます。私たちは、「アーメン」と答えて、【聖体】を頂きます。この「アーメン」と答えるというのは、今頂いているこの【聖体】が、イエス様が言われた「わたしが与えるパンは、この世に命を与えるためのわたしの肉である。」ということに対して「そうでありますように」と答えているのです。改めて、私たちが頂いている【聖体拝領】を振り返ってみてもいいかもしれません。

イエス様は、「よくよくあなた方に言っておく。」と人々に喚起を促され「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた方のうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と言われます。ユダヤ人たちにとって「血を飲む」ということは、律法で禁じられていたことでした。もちろん、今の私たちには、禁じられていませんがあまり気持がいいものではありません。この「血」というのは、「神の命」という意味があるようです。イエス様は、「血を飲む」ことによって、ご自分の命を私たちに与えてくださると言われているのではないでしょうか。ですから、イエス様は、ご自分の「肉」を食べ、ご自分の「血」を飲んだ私たちを「終わりの日に復活させる」とお約束なられたのです。

きょうのみことばの中でイエス様は、「このパンを食べる人は永遠に生きる」とか「永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と言われ、最後に再び「このパンを食べる者は、永遠に生きる」と言われます。イエス様は、私たちにご自分と同じように【永遠に生きる恵み】をお与えになりたいのです。私たちは、愛する人といつまでも一緒にいたいと思います。それは、イエス様も同じなのです。イエス様は、十字架上でご自分の命を犠牲にされるほど私たちを愛してくださっています。それは、私たちが【永遠の命】を得ることができるためなのです。私たちは、この【永遠の命】の恵みをイエス様の【いつくしみの愛】によって頂いているのです。

私たちが「生きる」ために必要なものは、「空気」と「食べ物」と言ってもいいでしょう。私たちが霊的に「生きる」ためにも同じように「霊的な空気」と「霊的な食べ物」が必要なのです。この「霊的な空気」は【祈り】ですし、「霊的な食べ物」は【聖体】と【みことば】ではないでしょうか。さらに、体の健康を保つために運動をするように、霊的な運動として「黙想」や「霊操」というものがあるのかもしれません。

イエス様は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内に留まり、わたしもその人の内に留まる。」と言われます。私たちは、「聖体拝領」によって、イエス様と一体になることができます。イエス様は、はるか天の上にあるお方でなく、私たちの中におられます。私たちは、イエス様と一緒に日々を過ごしていると感じることができたらいいですね。

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