聖霊に委ねるという種 聖霊降臨の主日(ヨハネ20・19〜23)

外国に行って、ミサに与る時たとえ言葉は分からなくても、いま、第1朗読を読んでいる、福音書が朗読されている、聖変化の場面などと、今がどの場面なのかがわかります。それは、全世界でミサが共通しているからです。さらに、一緒になって祈ることで、皆が一つになって、同じミサを与っているという気持ちになることができます。このことは、カトリック教会という同じ信仰を持つ者という素晴らしい恵と言ってもいいでしょう。

私は、ベトナムにある修道院に1週間ほど滞在する機会をいただきましたが、こちらの志願者の心の優しさ、人をもてなす心の素晴らしさに触れることで、私の心が平安な気持ちになっていることに気がつきます。

きょうのみことばは、イエス様が復活された夕方に、弟子たちが集まっている部屋に来られ、彼らに聖霊を与える場面です。弟子たちは、ユダヤ人たちを恐れ戸に鍵を閉めていました。彼らは、イエス様が十字架に架けられ亡くなったこと、婦人たちが「空の墓」を見たことなどを聞き不安になっていました。まだ、彼らの多くは、イエス様の復活を理解することができていませんでした。このような彼らの気持ちが、戸に鍵を「ことごとく」かけていると書き示すことで現れているのではないでしょうか。

そこへ、復活されたイエス様がお現らわれになり、弟子たちの真ん中に立たれ、「あなた方に平和があるように」と言われます。このことは、イエス様が教会の真ん中にいつもおられることを表しているのではないでしょうか。弟子たちは、イエス様に会うことができて喜びます。みことばには、「両手と脇腹をお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。」とあります。イエス様は、ご自分が受けた、十字架の傷、脇腹に刺された槍の跡を弟子たちに見せることで「私は、あなたたちの主である、イエスだ」とお示しになられたのでしょう。

私たちは、何かの【記し】を見なければ、信じることができないという信仰の弱さを持っています。長い間、イエス様と一緒に暮らしていた弟子たちも同じだったのかもしれません。そんな彼らに対してイエス様は、ご自分の傷をお見せになられます。【傷】は誰にとっても人に見せたくないものです。しかし、イエス様は、あえてご自分の傷を弟子たちに見せられます。イエス様は、【傷】すら使われて、宣教をすることができるということをお示しになられたのではないでしょうか。私たちも、自分が隠したいと心を、弱さをあえて使うことで思わぬ『宣教』ができるかもしれません。

イエス様は、再び「あなた方に平安があるように。」と言われ、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす」と言われ、弟子たちを【宣教】に派遣されます。イエス様は、私たちが福音宣教をする中で、大切なことは、「心の平安」であるとお示しになられているのかもしれません。そしてこの、「平安」は、おん父と共にある心であり、愛があり、謙遜さがあり、寛容さがあるのではないでしょうか。

また、イエス様は、ご自分だけの気持ちで弟子たちを派遣したのではありません。イエス様は、常におん父のみ旨に忠実でしたし、自分のことを中心に置くのではなく、おん父を中心に置いておられます。イエス様は、弟子たちの心の【平安】を確認された後、ご自分の息を吹きかけられ、「聖霊を受けなさい」と言われます。私たちは、聖霊の働きを願い、聖霊が十分に働くことができるために、まず、「心の平安」が必要なのです。私たちの心の中に、イエス様のことではない、別の心、迷った心がある時、さらに、「私の気持ち」で満ち溢れている時、聖霊は、十分に働くことができません。

イエス様は、弟子たちに聖霊をお与えになられたように、今も、私たち一人ひとりにご自分の息を吹きかけられ聖霊をお与えになられています。イエス様は、「その方は自分勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、起ころうとしていることを、あなた方に告げてくださるからである。……わたしのものを受けて、あなた方に告げ知らせてくださるからである」(ヨハネ16・13〜14)と聖霊について言われています。もし、私たちが善意はあっても“自我”を使って、宣教をしようと思っている時、聖霊は、イエス様が語られる言葉も、イエス様がなさろうとしている業も十分に行うことができません。言い換えると、私たちが福音宣教を行う時、「私がしなければ」という心のままだと、聖霊が十分に働くことができず、結果イエス様の業ではなく「私の業」になってしまうのです。

パウロは、「わたしたちはどのように祈るべきかを知りませんが、霊ご自身が、言葉に表せない呻きを通して、わたしたちのために執りなしてくださるのです。」(ローマ8・26)と伝えています。私たちは、このパウロのように「祈り方を知らない」一人なのです。私たちは、いただいた聖霊と共に福音宣教を行うことができたらいいですね。

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