わたしの隣人という種 年間第15主日(ルカ10・25〜37)

ことわざの中に「君子危うきに近寄らず」という言葉があります。それは、「教養があって、徳がある人は、自分の行動を慎むことができるから、危ない所に近づかない」という意味があるようです。逆の言葉として、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉もあってこちらは、「危険を避けていては、大きな成功を得ることができない」という意味のようです。私たちは、物事を行うためには、ときには、慎重になることも大切ですし、また、あるときには、大胆になることも大切なのかもしれません。

きょうのみことばは、「善いサマリア人」の譬え話です。律法の専門家がイエス様を試みようとして、「先生、どうすれば、永遠の命を得ることができますか」と尋ねます。この時点で、律法の専門家は、自分の中に答えを持っていたのです。それにも関わらず彼は、イエス様がどのように答えられるのか興味がありました。この質問は、ルカ以外の福音書では、「どうすれば」の代わりに「律法の中でどの掟がいちばん重要ですか」(マタイ22・36)、「掟のうちで、どれが第一の掟ですか。」(マルコ12・28)となっています。当時の律法学者たちの中では、「たくさんある律法の中でどの掟が大切なのか、どの掟を行えば永遠の命を得ることができるのか」という問題になっていたのでしょう。ですから、律法の専門家は、イエス様がどのように答えられるのか興味があったのです。

イエス様は、「律法には何と書いてあるか。あなたはどう読んでいるのか」と逆に尋ねられます。彼は、ユダヤ人なら誰でも知っていて、子どもの頃から毎日唱えている「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛せよ。また、隣人をあなた自身のように愛せよ」と答えます。イエス様は、彼に「……それを実行しなさい。そうすれば、生きるであろう」と答えられます。ルカ福音書では、他の福音書と違って、【どうすれば】とイエス様に尋ねています。そのことは、知識としての律法ではなく、行いと深く関わりがあることを伝えようとしているのではないでしょうか。イエス様は、彼に対して「それを【実行】しなさい」と答えられます。また、他の二つの福音書では、イエス様ご自身が答えを言われているのに対して、ルカは、「あなたはどう読んでいるのか」と言われて、律法の専門家に答えさせています。それは、「あなたは、もうすでに分かっているはずでしょう。どうして、私を試すように質問するのですか」という気持があるのではないでしょうか。この【あなたはどう読むのか】というイエス様の質問は、「あなたは、『みことばをどう読んでいますか』『おん父のメッセージをどのように気がついていますか』」と私たちにも投げかけておられる言葉かも知れません。

律法の専門家は、「それを実行しなさい」と言われたことに対して「わたしの隣人とは誰ですか」とさらに質問します。彼のこの答えの中には、「そんなことは、もう知っているし、言われなくてもやっている」という思いがあったのかもしれません。イエス様は、彼のこの質問に対して「強盗に襲われた人の」喩えを話されます。イエス様は、「彼らはその人の衣服をはぎ取り、打ちのめし、半殺しにして去って行った。」と言われます。この人は、裸で、傷を負い、血を流し、半死半生の状態だったのです。今の私たちなら、すぐにでも「119」に電話をして倒れた人を助けることでしょう。ですから、ここで出て来る「祭司」や「レビ人」のように神殿に仕えているように立派な人が取った態度に対して疑問や怒りさえ覚えるのではないでしょうか。しかし、彼らは、聖書に書かれてある「……また死体によって汚れたものに触れた者、……汚れている人に触れた者、それがいかなる汚れであろうとも、そのようなものに触れた者は夕方まで汚れる。」(レビ記22・4〜6)ということを知っていたのでした。彼らは、自分が汚れて「聖務」を行えなくなることを避けたのかもしれません。または、自分たちも盗賊から襲われるかもしれないと思って先を急いだのかもしれませんし、面倒なことに関わることを避けたのかもしれません。しかし、サマリア人は、倒れている人を「見て」「憐れに思い」「近寄って」介抱します。それだけではなく、宿の主人にお金を渡して彼の介抱を託します。このサマリア人がとった三つの行いは、放蕩息子の父親が息子を「見つけ」「憐れに思い」「走り寄って」という行いです。まさに、サマリア人が行ったこの三つの行いは、おん父が私たちに注がれた“いつくしみの愛”と言ってもいいでしょう。イエス様は、「おん父こそが、私たちにとって最高の【隣人】ですよ」と伝えておられるのです。イエス様は、私たちに「おん父がなさっているように『では、行って、あなたも同じようにしなさい』」と言われているのではないでしょうか。私たちも、イエス様のこのみことばを行うことができますように、お恵みと勇気を頂くことができるように祈ることができたらいいですね。

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