聖フィリポ 聖ヤコブ使徒

今回は、12使徒の聖フィリポと聖ヤコブについて見ることにします。

まず、フィリポについて見てみましょう。マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書では、フィリポは12使徒の名前が記されている個所で名前が挙げられているだけですが、ヨハネ福音書には何度か登場します。最初に登場するのは、フィリポがイエスの弟子となる場面です(ヨハネ1・43-46)。ヨハネ福音書では、まず最初にイエスに従ったのは、洗礼者ヨハネの弟子であった二人です。その中の一人がアンデレで、アンデレは兄弟シモン(=ケファ/ペトロ)をイエスのもとに連れてきます(35-42節)。その後に、イエスに呼ばれたのがフィリポです(43節)。フィリポはベトサイダという町の出身です(44節)。フィリポは、すぐにナタナエルを誘ってイエスのもとに連れていきます(45-46節)。

次にフィリポが登場する場面は、イエスがパンを増やされる個所です(6・1-15)。イエスは、大勢の群衆を見て、「フィリポを試みるため」(6節)、彼に「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(5節)と問いかけられます。これに対し、フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えています(7節)。

フィリポはまた、イエスに会おうと望んでいたいく人かのギリシア人たちから、仲介の労をとってもらうよう依頼されます(12・20-22)。フィリポは、アンデレとともに、イエスにそのことを話します(ただし、実際にこのギリシア人たちがイエスに会ったかどうかは記されていません)。その次に登場するのが、今回取り上げる個所(14・6-14)です。これについては、後で詳しく見ることにしましょう。

ちなみに、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書ではほとんど触れられていないのに、ヨハネ福音書に登場する使徒たちは、フィリポだけではありません。アンデレ、トマス、ユダもそうです。フィリポに関するヨハネ福音書の記述は、興味深いものではあっても、そこから彼の生涯を再構築するのはまったく不可能です。

聖ヤコブについては、問題は複雑です。12使徒の中に2人のヤコブがいることは前述のとおりです。福音書の中では、「ゼベダイの子ヤコブ」のほうが頻繁に登場します。このヤコブは、ペトロ、ヨハネとともに、イエスが重要な場面で必ず同席させた3人の使徒の一人だからです。一方で、今回取り上げた「アルファイの子ヤコブ」は、12使徒の名前が列挙されている個所に登場するだけです。しかし、「ヤコブ」という名前の人物は、そのほかにも新約聖書に登場します。一人は、「イエスの兄弟」「主の兄弟」と呼ばれるヤコブです(マタイ13・55、マルコ6・3、ガラテヤ1・19)。ガラテヤ1・19の記述からは、このヤコブが、エルサレム教会の指導者であったヤコブ(使徒言行録15・13、21・8、ガラテヤ2・9、12)と同一人物であることがうかがえます。「ヤコブの手紙」の著者とされるヤコブも同じ人物と思われます。パウロが、一コリント15・7で、復活後にキリストの出現を受けた人物として記しているヤコブも、このヤコブでしょう。だとすると、ここでパウロは、「キリストが……ケファに現れ、その後十二人に現れた」(5節)と記してから、500人以上の兄弟たちに現れ、そしてヤコブに現れたと記していますから、普通に読むと、このヤコブは12使徒の一人ではないことになります。ただし、「アルファイの子ヤコブ」が、エルサレム教会を指導した「イエスの兄弟」ヤコブと同一人物であるとする伝承もあり、明確ではありません。「ヤコブ」は、父祖の一人(イサクの子、アブラハムの孫)で、イスラエルの12部族の祖ですから、この名前を持つ人も多かったのです。

フィリポにせよ、ヤコブにせよ、新約聖書の記述や伝承からでは、その生涯を知ることは不可能です。この事実は、わたしには重要なことであると思えます。わたしたちは、すばらしい生き方をしたキリスト者の生涯を、信仰者の模範として語り伝えようとします。しかし、初代教会は、教会のいしずえとなった使徒たちの生涯を語り伝えようとはしなかったのです。それは、ペトロについても言えることです。ペトロは、福音書や使徒言行録の中にしばしば登場しますが、その出生から始まって、イエスに出会う前のことは伝えられていません。使徒たちは、「使徒」としてイエスに選ばれ、この召命に忠実にこたえて生きることをとおして、救いの計画の実現に参与したということ、初代教会が重視したことはその一点なのでしょう。

この「使徒性」については、聖フィリポと聖ヤコブを祝うミサの中で朗読されるヨハネ福音書14・6-14の中にみごとに描き出されているように思います(「使徒」という語は用いられていませんが)。この部分は、イエスがご自分のこれからの歩みについて、弟子たちに語られ、「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」(4節)と言われたのに対し、使徒の一人トマスが「どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(5節)と答えたのに続く場面です。

イエスは、この問いに対して、「わたしは道であり、真理であり、命である」(6節)と言われます。ヨハネ福音書にしばしば出てくる「わたしは~である」という表現の一つです。しかし、ここでは明らかに論理の飛躍が見られます。イエスが述べておられたことは、ご自分が御父のもとに行って、戻ってくるということでした(2-3節)。イエスは、ご自分がたどられる道について、「その道をあなたがたは知っている」と言われ、トマはその道を知らないと述べました。ところが、イエスは「わたしは道である」と述べることで、ご自分のたどられる道から、ご自分自身が道であるということへ話を発展させられるのです。それは、これに続く言葉、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(6節)でも明確です。こうして、御父への道を知るには、イエスご自身を見つめ、知ることで十分であることを、イエスは教えられるのです。

イエスは御父への道を示す方であるばかりでなく、御父への道そのものであり、イエスの中にとどまることが御父のもとへ行くことになります。それは、真理や命についても同じことです。イエスは救いの真理を明らかにされるだけでなく、イエスそのものが救いの真理であり、その啓示です。イエスにとどまることによって、御父の望みや言葉が明らかになるのです。また、イエスは命を与えてくださるだけでなく、命そのものです。イエスの中に命があり、イエスにとどまることによって、わたしたちは生きる者となるのです。

その後のフィリポとのやりとりで、理由が示されます。「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」(10節、11節)。イエスが御父の内におられ、御父がイエスの内におられるから、イエスを見た者は御父を見たのであり、イエスは道、真理、命なのです。この神秘的な一体性が、イエスを御父を完全に示す者としているのです。

ところが、イエスが御父のもとに行かれ、この一体性がこれまでにないほどに深いものとなるとき(12節)、そしてその実りとして真理の霊である聖霊が弟子たちに与えられ、この霊が弟子たちと共におり、弟子たちの内にいて(17節)、イエスの言葉を思い起こさせ、語らせるとき(26節)、弟子たちはイエスのわざを行うだけでなく、「もっと大きな業を行うようにな」(12節)ります。御父とイエスの間にある神秘的な一体性が、聖霊によってわたしたちとキリストの間にも実現されるのです。実際に、このことが実現するのは、イエスの復活の後です。復活の日、イエスは弟子たちに現れ、聖霊を与えて、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われました(20・21-22)。これ以後、イエスが「わたしを見た者は父を見たのだ」(14・9)とフィリポに言われたことが、弟子たちにも当てはまるようになります。弟子たちも、イエスに派遣された者として、イエスの内に深くとどまり、イエスの言葉を語り、イエスの望みを行うようになります。弟子たちを見た者は、イエスを見たのだと言えるほどまでにです。これこそ「使徒」であることの意味合いではないでしょうか。12人の使徒たちは、この「使徒性」を少しずつ理解し、身につけていったのでしょう。

教会は、彼ら12人に続く、「使徒」としての務めを与えられた人々によって成長してきました。しかし、キリストの派遣の言葉は使徒たちだけにではなく、すべてのキリスト者に向けられています。御父とキリストとのかかわりに招き入れられ、聖霊を与えられたのは、何も使徒たちだけではないのです。わたしたち一人ひとりも、イエスに至る道、イエスを示す真理、イエスを与える命となるよう招かれているのです。この招きに少しでもこたえることができるよう、聖フィリポと聖ヤコブにならいたいと思います。

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