聖フィリポ・ネリ司祭

教会は、5月26日に聖フィリポ・ネリを記念します。この聖人は、1515年にイタリアのフィレンツェで生まれた後、若くしてローマに出て、司祭となりました。それ以後、全生涯をローマで過ごし、1595年に亡くなりました。

フィリポの生きた時代は、激動の時代でした。ルターを初めとする、いわゆる「宗教改革」と呼ばれる運動が起こり、それが宗教の枠組みを越えて、政治、経済、社会に大きな分裂と争いを引き起こしました。カトリック教会では、トレント公会議が開かれ、教会内のさまざまな刷新への方向性が示されましたが、ここにも種々の形で「宗教改革」の影響が見られました。

しかし、歴史が証ししているのは、神は困難な時代にこそ必要な人を送ってくださるということです。この時代、ローマではイエズス会の創立者イグナチオ(ロヨラ)が活躍していました。また、貧しい病人たちに献身的に奉仕するカミロ会を創立したカミロ(レリス)の活躍も見られました。フィリポ・ネリも同時代にローマで活躍し、多くのキリスト者に影響を与えました。

フィリポ・ネリの活動の中で、おそらく最も特徴的なのは、「オラトリオ(祈りの集い/場)」形式による信仰の育成と言えましょう。これは、ある場所で集会を開き、そこで講話、祈り、宗教音楽の演奏などを行なうというものです。この集いはすべての人──高位聖職者から貧しい人たちまで──に開かれており、参加は自由で、途中から参加したり、途中で退出することも許されていました。最初は、フィリポの自室で行なわれましたが、すぐに参加者が増えて、手狭になり、より広い場所に移されました。

トレント公会議は、プロテスタント諸派の主張に対して、秘跡としてのミサの価値や、ほかの秘跡の重要性をあらためて強調しました。フィリポ・ネリは、このことを全面的に受け入れつつも、これら秘跡の価値と効力が日常生活の全体に浸透していく必要を感じていました。また、聖職者や制度の刷新が、現実の生活を生きる信徒全体の霊的生活の向上を伴うものでなければ不十分であることも痛感していたようです。「オラトリオ」は、ミサやゆるしの秘跡だけにとどまらず、日常生活全体をキリスト者として生き、これを表現するための一つの手段として開かれました。このため、集会は通常、午後や夕方に行なわれました。人々は、仕事の休み時間を利用しながら、それぞれが可能な時間に、可能な形で集会に参加しました。「オラトリオ」は、仕事と切り離されたものでなく、仕事の中に行なわれるよう配慮されました。

ここから、次第に「オラトリオ会」という組織が生まれていきます。しかし、この会についても、フィリポは、社会から切り離された聖職者の会とならないよう導き、厳密な規則や組織よりもそれぞれの立場や状況に応じた生活がなされるよう望んでいました。

霊的生活を日常生活から切り離すのでなく、現実の中でキリスト者の喜びを表現すること。それが聖職者や修道者だけでなく、すべてのキリスト者に伝わっていくこと。フィリポ・ネリのメッセージは、今の時代にも強く訴えるものがあると思います。

さて、今回取り上げる聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙4・4‐9です。これは、聖フィリポ・ネリを荘厳に祝うときに、ミサの第一朗読で読まれる箇所です。

パウロは、フィリピの共同体に強く訴えます。「喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」。「喜び」は、フィリピの信徒への手紙の特徴の一つです。しかし、それは単なる感覚的な喜びではありません。実際、パウロ自身がまず喜んでいるのですが、そのパウロはといえば、捕らえられ、監禁されているのです。しかし、およそ福音とは結びつかないように思える監禁の状態が、キリストが宣べ伝えられるのに役立っているとパウロは理解します。しかも、それが広く知られることによって、多くの人がキリストを信じ、またキリスト者が新たに福音宣教の熱意と勇気を持つことができるようになったことを、パウロは見てとります。それがパウロを喜ばせているのです。パウロは、キリストに結ばれる者となりました。もはや、パウロの生活全体が、キリストにおいて、キリストにより、キリストのためにあるのです。だから、すべてにおいて、パウロは喜ぶことができるのです。

このため、パウロはフィリピの信徒たちにも「主において常に喜びなさい」(4節)と招きます。「主において」、つまり「主に結ばれて、主によって、主のために……」ということです。喜びは主キリストと結ばれていることから生じるのであり、主のために喜ぶのです。主キリストとのこの結びつきは、「主はすぐ近くにおられます」(5節)という理由づけや、「神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(7節)、「平和の神はあなたがたと共におられます」といった信頼の言葉にも表れています。

しかも、「常に」、つまり「どのようなときにも」喜びなさいと言われます。この「全体にわたって」「全面的に」という考えは、その後の描写にもさまざまな視点で繰り返されていきます。パウロは、フィリピの信徒たちの広い心が「すべての人」に知れ渡るように求めます。キリストによって愛と喜びに満たされた彼らの心が、一部の人だけではなく、すべての人を巻き込むよう求められています。また、この喜びは「どんなことでも」思い煩うことのないように導きます。そして、「何事につけ」感謝を込めて祈りと願いを捧げるようにさせるのです。神との関係が生活のすべてに浸透していき、すべてを神に打ち明けるようになります。この神は「あらゆる」人知を超えています。だから、結ばれた人々の心と考えを守ることができるのです。終わりに、パウロは「すべて」を連発します。「すべて」真実なこと、「すべて」気高いこと、「すべて」正しいこと、「すべて」清いこと、「すべて」愛すべきこと、「すべて」名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい、と。この招きには、日常生活のすべてがキリストと関連づけられているという前提があります。だからこそ、キリスト者は、キリストと結ばれた者として、日常生活で出会うことすべてに心を向けることが必要なのです。

フィリポ・ネリは、16世紀のローマで、パウロのこの教えを実践しようとしたのでしょう。今日の日本の教会に生きるわたしたちにとっても、日常生活全体をキリストとの関わりの中で見つめ、それを具体的に表現することは、決して容易なことではありません。しかし、難しいからと言って何もしなければ、いつまでもそれを実現することはできません。フィリポ・ネリは、大きな事業を行なったわけではありません。自分の自室から、小さな取り組みを始めました。それが大きな活動に発展していったのです。わたしたちも、この聖人のように、自分たちの場にあって具体的な取り組みを模索していく勇気と信頼を持つ者になりたいと思います。

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