復活の体験という種 復活の主日(ヨハネ20・1〜10)

「体で覚える」という言葉がありますが、私たちは、初めてのことに関して、いくら説明されたり、本を読んで勉強したりしても実際に体験をしないと本当に理解するのは難しいものです。例えば、自転車に初めて乗るとき、「足でペダルをこぎながら、体でバランスをとり、ハンドルを進む方向に向ける」と説明されても実際に自転車に乗って練習しないとうまく乗ることはできません。しかし、何度か失敗をしてうまく乗れると、もう後は何十年経っても乗ることができます。私たちは、知識と体験そして感覚によってその本質に触れることができるのではないでしょうか。

きょうのみことばは、イエス様が復活される場面です。この「復活の朝」の記事には、主役であるイエス様の姿は出てきません。むしろ、みことばは、「誰かに取り去られた」「亜麻布が平らになって……」というようにイエス様がおられないということが強調されています。

最初にマグダラのマリアは、朝早く、まだ暗いうちに、イエス様が葬られた墓に行きます。復活の場面は、不思議なことに他の福音記者も「朝早く」そして、最初に墓に行くのは、「婦人たち」でした。ヨハネ福音書では、マグダラのマリアしか登場してはいませんが、彼女がペトロともう一人の弟子にイエス様がいないことを知らせに行ったとき「……どこへ置いたのか、わたしたちには分かりません」と伝えています。マルコ福音書には、この婦人たちのことが「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、そしてサロメは香料を買った。」(マルコ16・1)とありますのでたぶんヨハネ福音書の「わたしたち」というのは、この3人ではないでしょうか。

マグダラのマリアはイエス様から、かつて7つの悪霊を追い出されたことがありました(マルコ16・9)。彼女は、どん底の状態から救われたことの喜びを頂いたことが忘れることができずに、弟子たちと一緒にイエス様と共にいたのではないでしょうか。それほど彼女は、イエス様への愛が深かったと言ってもいいでしょう。彼女は(他の婦人たちとともに)、朝早く、まだ暗いうちに、誰かの力を借りないと閉じている墓石を転がすことができないと心配をしながら(マルコ16・3)墓に行ったのです。このこともイエス様への深い愛の表れと言ってもいいでしょう。

彼女は墓に着き、墓石が取り除かれているのを見ます。墓石は、彼女にとって、イエス様に会うための一つの「障害」だったと言ってもいいでしょう。これは、私たちにも当てはまるかもしれません。何かを実行するとき、時々いくつかの困難や問題が生じることがあります。しかし、人間的な力以上のお恵みを頂くことができ、事がうまい具合に解決することがあるのではないでしょうか。おん父は、私たちがイエス様に出会うためには、どんなとき、どんな状況であっても助けてくださるお方なのです。

さて、マグダラのマリアは、ペトロの所と、イエス様が愛しておられたもう一人の弟子(ヨハネ)の所へ走って行き、空になっている墓の事を知らせます。その知らせを聞いた2人は、一緒に墓に向かって走って行きます。ここでは、「走る」という言葉がよく使われます。彼ら、彼女らの息づかいが聞こえてきそうです。彼らに心の中は、どのような気持だったのでしょうか。少しここに、心を止める事もいいかもしれません。

もう一人の弟子が先に墓に着き、身をかがめてのぞき込み、亜麻布が平らになっているのを見ます。遅れてやって来たペトロは、墓に入って墓の中をよく見ます。やはり、イエス様のお姿は見当たりませんでした。もう一人の弟子は、ペトロに続いて墓の中に入り、見て、信じます。この時、彼らは、ようやくイエス様が何度もご自分が【死者の中から復活】する事を伝えていた事を信じたのです。イエス様は、「この神殿を壊してみよ。わたしは3日で立て直してみせよう。」(ヨハネ2・19)「しばらくすると、あなた方は、もはやわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見ることになる。」(ヨハネ16・16)と弟子たちに伝えています。また、共観福音書でもそれぞれ福音書によって少しは違いますが、「長老、祭司長や、律法学者たちから」「多くの苦しみを受けて」「殺され」「そして3日目に復活する」(マタイ16・21、マルコ8・31〜33、ルカ9・22)、とあります。イエス様は、弟子たちに何度もご自分の【受難と死と復活】について語っておられます。しかし、彼らは、それを信じる事ができなかったのです。

もう一人の弟子は、空の墓を「見て、信じ」ます。ここでの【見る】と言うのは、心の目で見ると言われます。彼は、心の目で見てイエス様が【復活】されたことを信じたのです。弟子たちのこの体験・感覚は、一生消える事はありませんし、この喜びをたくさんの人に伝えようとしました。私たちも【復活】の喜びの体験を周りの人に伝え、分かち合う事ができたらいいですね。

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