出て来なさいという種 四旬節第5主日(ヨハネ11・1〜45)

私は以前ERに、お世話になった時に、看護師さんから、「大丈夫ですか、ここが分かりますか」という「声かけ」をされたことがあります。この「声かけ」は、「いまの自分を意識させる」言葉のようでもあり、「もう大丈夫ですよ」という安心感を頂ける言葉でもあるように感じたのです。

きょうのみことばは、イエス様がラザロを生き返らせる場面です。福音書には、たびたびイエス様が亡くなった人を生き返らせる場面が出てきます(マタイ9・23〜26、ルカ7・11〜15)。しかし、この「ラザロ」の場合は、他の人を生き返らせた場面と比べると、何となく計画的な感じを覚えます。「ラザロ」という名前は、ヘブライ語で「神が助けられる」という意味のようです。この名前から考えられるように、彼は、最初からイエス様によって「助けられる」人だったのかもしれません。

イエス様は、マルタとマリアを愛されておられ、兄弟ラザロも愛されておられました。イエス様の所にそのラザロが病気であるという知らせが届きます。しかし、イエス様は、「この病気は死ぬほどのものではない。神の栄光のためであり、神の子はそれによって栄光を受けることになる」と言われ、そこに2日間も留まられます。もし、私たちですと愛する人が「病気」という知らせを聞くと心配で直ぐにでも見舞いに行くことでしょう。しかし、イエス様は、あえて2日間も留まられます。イエス様も本当は、直ぐにでもラザロの所に行かれたかったのかもしれません。ただ、そうされなかったのは、「神の栄光のためであり、神の子はそれによって栄光を受けることになる」というおん父のご計画に忠実に従われたからだったのです。

イエス様は、2日間経ってから弟子たちに「わたしは彼を眠りから覚ましに行く。……あなた方が信じるようになるためである。ともかく、ラザロの所に行こう」と言われます。ここに、イエス様のお気持ちが表れているのではないでしょうか。イエス様は、この2日間をどのようなお気持で留まられたのでしょう。イエス様は、ラザロのことを心配され、少しでも病気からの苦しみが少なくなるように、また、マルタやマリアの心の痛みが癒されますようにと祈っておられたことでしょう。イエス様の「ともかく、ラザロの所に行こう」という言葉は、「これで、ラザロの所に行ける時が来た、さあ早く行こう」という気持の表れなのかもしれません。

イエス様は、マルタにお会いになられ「あなたの兄弟は復活する」と言われます。マルタは、イエス様が言われた「復活する」という言葉の本当の意味を理解できなかったようです。そんなマルタにイエス様は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。生きていて、わたしを信じる者はみな、永遠に死ぬことはない。このことをあなたは信じるか」と言われます。この言葉は、私たち一人ひとりへのメッセージと言ってもいいでしょう。私たちは、このイエス様の言葉を信じて、洗礼の恵みを頂きましたし、ミサの中の「信仰宣言」でも「からだの復活、永遠のいのちを信じます」と唱えています。改めて、私たちの信仰生活を振り返ってみてもいいかもしれません。パウロは、「キリストがあなた方のうちにおられるなら、体は罪の故に死ぬことになっても、受けた救いの義の故に、霊はあなた方の命になっています。……その霊によって、あなた方の死ぬべき体をも生かしてくださるのです」(ローマ8・10〜11)と手紙の中で伝えています。私たちは、このパウロの言葉によって勇気と慰めを頂けるのではないでしょうか。

さて、イエス様は、マルタとマリアにお会いになられ、彼女らの悲しみに触れ「心に憤りを覚え、張り裂ける思いで『ラザロをどこに置いたのか』」とお尋ねになられ、涙を流されます。イエス様は、私たちが悲しみに打ちひしがれ、苦しんでいる私たちと共におられ、そして涙を流してくださる方なのです。これは、イエス様の“いつくしみの愛”ではないでしょうか。イエス様は、「神としてのあり方に固執しようとはせず、……その姿はまさしく人間であり」(フィリピ2・6〜7)とありますように、私たちのすべてをご存知なのです。

イエス様は、石を取りのけたラザロの墓の前で「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。……あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」と言われて、「ラザロ、出て来なさい」と言われます。イエス様は、おん父がご自分を通してラザロを生き返らせることをご存知だったのです。イエス様が2日間留まれたことも、マルタとマリアとともに涙されたことも、おん父の栄光を人々に【信じさせる】ために必要だったと言ってもいいでしょう。イエス様は、「罪のために死んだ体となった」私たちにも「出て来なさい」と言われているのではないでしょうか。私たちは、このイエス様の声に信頼して心から「からだの復活を信じます」ということができたらいいですね。

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