聖ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)司祭

聖ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)司祭の記念日は、4月7日です。ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)は、1651年4月30日にフランスのランスという町で生まれました。まだ子どものころに両親を相次いでなくしますが、その後も彼は司祭への道を志すのをやめず、勉学を続けました。18歳のときにはパリに行って学び、1678年に司祭に叙階されました。

彼は、司祭になった当初から、青年たち、とりわけ恵まれない状況にある青年たちの教育に力を注ぎました。ランスには、貧しい少女たちの世話と援助を目的として1670年に設立された学校がありましたが、その運営はうまく行っておらず、ラ・サールは学校の立て直しに尽力しました。1679年には、彼はランス内の3つの小教区に貧しい少年たちのための学校を設立しました。そして1681年に、これらの学校の教師たちを集め、共同生活を始めました。後のキリスト教学校修士会(ラ・サール会)です。ラ・サールの活動は、近隣の町にも知られるようになり、同じ趣旨の学校を設立してほしいとの要望が彼のもとに届くようになりました。こうして、貧しい子どもたちのための教育施設(「キリスト教学校」)が、ラ・サールとその仲間たちによって次々と作られていきました。

その一方で、ラ・サールは同じ志をもって集まって来る会員たち、すなわち「キリスト教学校」の教育者たちの養成と、その組織面での整備にも尽力しました。ラ・サールは、ランスに彼らのための修練院を設立し、会則の作成を進め、彼らに対するさまざまな教えを執筆しました。霊性面では、ラ・サールは17世紀のフランス霊性(サレジオの聖フランシスコ、ジャン=バプティスト・オリエ、ランスのジャン=フランソワらの思想に代表されるもの)にしたがっていました。つまり、聖霊のはたらきに温順になり、信頼をもって神へと沈潜していくよう、内なる人間を養成することに力を注いだのです。「キリスト教学校」の教師たちは、こうして神の言葉を生徒たちに伝えることができる者とされていきました。

しかし、ラ・サールの活動はしばしば激しい反対に遭いました。これまで教師を生業としていた人たちの中には、自分たちの職が奪われることを恐れて、ラ・サールの活動に反対する人がいました。また、教会の公的認可を受けずに共同生活をしていることを突いて批判をする人たちや、誤った教えを広めていると告発する人たちもいました。このような反対の中でも、ラ・サールの始めた活動はさらに広がり続け、アヴィニョン、シャルトル、ブーローニュ、グルノーブル、マルセイユ、そしてローマにまで達しました。ラ・サールは、総長としてこれらの学校を精力的に訪れ、会員たちを励ましていきました。

1717年、おもだった会員たちによって総会が開かれ、バルテルミー修道士がラ・サールに次ぐ第二代総長に選出されました。ラ・サールは、その約2年後、1719年4月7日に息を引き取りました。ラ・サールの創立したキリスト教学校修士会が聖座の認可を受けたのは、彼の死の5年後にあたる1724年のことでした。

教会は 四旬節の典礼を非常に重視しています。このため、四旬節中に聖人の記念をおこなうときは、集会祈願のみを唱え、そのほかは四旬節週日の典礼を優先するよう定めています。今年は復活祭が遅く、4月7日は四旬節中にあたるため、聖ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)司祭の記念日を荘厳に祝うことはしません。しかし、この日が復活節第2主日以降の週日にあたるときは荘厳に祝うことができ、その場合、ミサの福音ではマタイ福音書18・1-5が朗読されます。そこで、今回はこの個所を読み深めることにしましょう。

マタイ福音書18章は、「教会的な説教」と呼ばれることがあります。教会内での生活に関するイエスの教えがまとめられているからです。イエスが公生活をおこなっておられた時期には、まだ教会は組織されていませんでしたから、イエスが教会生活について教えを述べられるのはおかしなことと感じられるかもしれません。しかし、マタイ福音書は──おそらくイエスの復活後の教会で起きた問題への答えも含めて──イエスに教会生活の根本要素を語らせているのです。その冒頭が今回取り上げた個所です。この個所は、18章全体の中に位置づけて読むように招かれているのです。

18・1-5節では、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」(18・1)という弟子たちの問いかけに端を発して、イエスが一人の子どもを呼び寄せ、「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」(18・3-4)と述べられ、すぐに、「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(18・5)と付け加えておられます。自分自身が子どものようになることと子どもを受け入れることとが求められているのです。

子どものようになることは、この個所では、「心を入れ替える」、また「自分を低くする」という表現と結びつけられています。子どものようになるとは、回心をすることであり、自分を子どものように低くすることなのです。しかし、不思議なことに、この点は18・6以降で触れられなくなります。その一方で、子どもを受け入れることのほうに全面的に注意が向けられていきます。18・6-9は、「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者」(18・6)に対する厳しい教えです。18・10-14では、「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけな」(18・10)ければならない理由が述べられています。それは、「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」(18・14)からです。18・15-17は、「あなたに対して罪を犯した」(18・15)兄弟に対する姿勢を説いています。このような兄弟に対する姿勢が彼らの天における救いを左右するからです(18・18)。18・19と18・20の「二人」、「二人または三人」とは、この文脈から理解すると、「あなた」と「あなたに対して罪を犯した兄弟」のことと言えるでしょう。

ここまで来ると、「このような一人の子ども」(=「小さな兄弟」、「あなたに対して罪を犯した兄弟」)を受け入れる側も、「心を入れ替える」、「自分を低くする」といった歩みをおこなわなければ、ほんとうの意味で小さな兄弟を受け入れることはできないことが分かります。18章の最後の教えは、ペトロの問いかけに対するイエスの答えです(18・21-35)。ペトロは、「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(18・21)と質問します。ペトロは、まだ分かっていないのです。イエスの名によって彼らとともに集まり、心を一つにして天の御父に祈り求めることができるようにならなければ、彼らの救いどころか、自分の救いも危うくしているということを。イエスは、「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(18・22)とお答えになり、仲間をゆるさない家来のたとえを述べられます(18・23-31)。王に1万タラントンの借金をしている家来は、主君の憐れみのゆえに借金を帳消しにしてもらいます。一方で、この家来は自分に100デナリオンの借金をしている仲間をゆるすことができずに、牢に入れてしまいます。この様子を見たほかの家来たちが事の次第を聞いた王に告げます。そこで、王は怒って、1万タラントンの借金をしていた家来を牢に入れてしまうのです。

実に皮肉な人物設定がなされています。1万タラントンという額は、通常では考えられない大金です。国家予算に匹敵するような額と言えるでしょう。100デナリオンも決して少額ではありません。しかし、1万タラントンに比べれば、わずか60万分の1の額です。仮に100デナリオンを100万円とすれば、1万タラントンは6000億円となります。皮肉なのは、ペトロに対して罪を犯した兄弟が、たとえの中では100デナリオンの借金をしていた家来になぞらえられ、ペトロ自身が1万タラントンもの借金をしていた家来になぞらえられているという点です。ペトロは、自分が正しい人間で罪人ではなく、小さな者でもないと考えていたことでしょう。しかし、ペトロのほうがまったく比較できないほど膨大な借金を抱えて苦しんでいる者、つまりそれをゆるしてもらえなければ何もできない極めて小さな者だということが暗示されているのです。

心を入れ替えて、神とのかかわりで自分を見つめ、自分が小さな者にすぎないことを痛感し認めるとき、はじめて、小さく見える兄弟、罪を犯してしまった兄弟が、実際には自分より小さい者、罪深い者ではないことに気づき、この兄弟を受け入れることができるようになります。こうして、18章の冒頭で述べられていた2つの教え(自分が子どものようになることと、子どものような者を受け入れること)は、一つの切り離せない教えとして結びつくのです。

聖ヨハネ・バプティスタ(ラ・サール)は、子どもたちの中でも、貧しい人たち、社会から追いやられてしまったような人たちのために学校を作り、みずから低くなって、彼らを受け入れ、育てるために力を注ぎました。そして、そのために苦しみも受けました。しかし、神の前での自分の小ささと、神の憐れみ深さに気づいていたからこそ、最後までその使命を果たし抜くことができたのでしょう。わたしたちも、神の前で心を入れ替えて、自分が低い者であることを認めることと、小さい兄弟たちを受け入れることが一つであることを受け止め、教会の中で、また社会の中で人々への奉仕に生き抜くことができるよう、この聖人の取り次ぎを願いたいと思います。

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