神のいつくしみの主日

復活節第2主日は、2000年以降「神のいつくしみの主日」として定められました。この名称は、聖ファウスティーナ・コヴァルスカ修道女と強く結びついています。

ファウスティーナ・コヴァルスカは、1905年ポーランドで生まれました。早くから、修道生活への望みを感じていましたが、家が貧しかったため、働いて家計を助けなければなりませんでした。しかし、修道生活への望みはゆるぎなく、1925年にいつくしみの聖マリア修道会に入会しました。外面的には特別なことをしたわけではありませんが、内面的にイエスとの深い神秘的交わりへと分け入る恵みを受けました。ファウスティーナは、指導者の勧めに従い、こうした体験を「日記」に書き記しました。さらに、彼女はイエスから、「神のいつくしみ」の信心を広め、人々が神のいつくしみに信頼するよう導くという使命を与えられました。しかも、彼女がこの使命を受けたのは、ヨーロッパが最も苦しんだ時期の一つ、あの第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期でした。確かに、人間の負の側面が席巻したあの時期、人類は「神のいつくしみ」に信頼しなおす必要があったのです。ファウスティーナは、1938年に若くして亡くなりますが、「神のいつくしみ」の信心は全世界へと広まっていきました。

さて、この主日にはヨハネ福音書20章19−31節が読まれます。復活の日に、イエスが弟子たちに現れ、復活のさまざまな恵みを彼らに与える場面と、一週間後に今度はトマスがいるときに再びイエスが現れ、トマスを信仰へと導く場面です。この個所は、ある意味でヨハネ福音書のメッセージが凝縮されている個所と言うことができます。

イエスは、家に入ってきて「真ん中に立ち」ます。これは、復活の日も(19節)、その一週間後もそうです(26 節)。そして、「あなたがたに平和があるように」と言われます。「平和(=シャローム)」はユダヤ人のあいさつの言葉ですが、ここでは一週間後に述べられた言葉も含めて三度も繰り返されています(19節、21節、26節)。旧約の伝承の中で、「平和」はメシアが現れ、救いが実現されるときに与えられる賜物としてとらえられていました。また、イエスご自身も、最後の晩さんの席で「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(14・27)と約束されました。まさにこの平和が、イエスの復活によって、弟子たちに与えられたのです。

しかし、このイエスは十字架にかけられた方です。どちらの出現の場合も、イエスは手とわき腹を見せておられます(20・20、27)。十字架とは、イエスにとって愛の極みです。それは、「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」(10・18)という言葉の実現であり、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(15・12)のです。手とわき腹を見せる行為は、単にイエスであることの証し(トマスはこのように理解しています、20・25)なのではなく、十字架の中にあふれ出たイエスの愛を表しているのです。

このイエスとの出会いは、弟子たちを喜びで満たします(20節)。それだけではありません。イエスは、重ねて「平和」をお与えになった後、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われます(21節)。「父がわたしをお遣わしになった」。ヨハネ福音書の中では、この表現は御父とイエスの関係、御父の計画とこの世でのイエスの使命を表す、中心的な言葉です。それは、1章の賛歌から始まり、ヨハネ福音書全体を貫くものです。イエスは永遠から御父のふところにあって、御父を見てこられた。だから、御父のもとから派遣されたイエスだけが、御父の言葉を語り、御父の望みを行うことができる。いや、イエスは御父の言葉だけを語り、御父の望みだけを果たされる。しかし、イエスは単なる口移しで言葉を告げる伝令のような者ではない。御父と御子の関係は、御父がイエスのうちにおられ、イエスが御父のうちにおられるという深い神秘に生かされたものであり、「わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか」(14・9)とさえ言うことのできるものである……。

「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」というイエスの言葉は、今述べたような御父とイエスの関係に弟子たちが入れられたということ、弟子たちもイエスとの深い神秘的関係を生き、イエスの言葉を語り、イエスの望みを行なうことができ、ついには「わたしを見た者は、イエスを見たのだ」とさえ言える者とされたということを表しています。この言葉は、宣教の命令である以前に、弟子たちを根底から新しい関係へと生かす深い恵みの言葉なのです。

イエスは、そう言われた後、弟子たちに「息を吹きかけ」られます(20・22)。この言葉は、人間の創造のときに、神がなさった行為を思い起こさせます。「主なる神は、……〔人〕の鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2・7)。イエスは、死と復活を通して、新しい命の息を弟子たちに吹き入れられ、こうして弟子たちは新しい命に生きる者となったのです。

イエスは、この行為を説明するような形で言葉を続けられます。「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20・22)。この聖霊こそ、弟子たちの中にあって、キリストにおける新しい命を生きさせる方であり、イエスに遣わされた者として、イエスの言葉を語り、イエスの望みを行うことを可能にする方です。聖霊は、「すべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせて」くださいます(14・26)。聖霊は「真理の霊」であって、「あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせ……わたしのものを受けて、あなたがたに告げ」てくださる方なのです(16・13−14)。

この霊によって、御父とイエスとの深い関係が、イエスと弟子たちとの関係の中だけでなく、弟子たちの互いの関係においても実現していきます。それは、愛の関係です。互いに足を洗い合うことであり、互いのために自分の命を捨てて「ゆるし合う」ことです。だから、イエスの言葉はゆるしの権能へと移っていきます。この言葉は、人々の罪が弟子たちのゆるしによって左右されるということよりも、むしろ聖霊によって互いにゆるし合う力が与えられたということを示しているように思います。そして、この力が与えられているからこそ、それを行使せず、人をゆるさないことが、その人の救いを左右してしまうという弟子たちの責任を示しているのでしょう。

平和、喜び、派遣に込められたイエスとの関係、聖霊、ゆるし。これらすべては、死と復活によって頂点を極めた神の愛、イエスの愛が形をとって表れ出た、かぎりなく豊かな賜物です。確かに、それは「神のいつくしみの主日」と呼ぶにふさわしい事実を示しているのです。ヨハネ・パウロ2世は、この名称を定めた2000年4月30日の説教の中で次のように述べています。「いつくしみとは愛の『第二の名前』ではないでしょうか。そう、いつくしみとは、愛の最も深く、配慮に富んだ側面、すなわち、あらゆる必要を自ら担おうとする姿勢、特に、ゆるすという愛が持つ大いなる力に焦点を当てた名前ではないでしょうか」(私訳)。

さて、このようなイエスの恵みは、復活の日にいなかったトマスには与えられなかったのでしょうか。福音書には、これらの恵みがトマスに与えられたとは書かれていません。しかし、やはりトマスにも与えられたのだろうとわたしは思います。そうでなければ、トマスはあの偉大な信仰宣言「わたしの主、わたしの神よ」(20・28)を行うことができなかったでしょうから。

これらの恵みは、トマスを含めた弟子たち(イエスを見て信じた人たち)を通して、イエスを直接には見ていないわたしたちにも与えられます。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(29節)。わたしたちも、そのために書かれた聖書(31 節)や聖伝を通して、信じる者となり、洗礼を受けて、「神のいつくしみ」のあふれ出であるこれらの恵みを受けたのです。

この主日に、わたしたちが受けている「神のいつくしみ」の深さ、すばらしさを具体的に感じ取るよう努めたいと思います。もし、このいつくしみの深みへと分け入ることができたなら……。わたしたちは、きっと霊的な喜びで満たされ、どんな現実の困難の中にあっても、神に信頼を置いて歩み続けることができるでしょう。

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