主の死と復活

今回は、フィリピ2章6〜11節の箇所をキリストのへりくだりという視点から考えてみることにします。

キリストは、神の子でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思いませんでした。かえって自分を無にすることをお望みになりました。こうして、実際に僕の身分となり、人間と同じ者になってくださいました。人間としても高ぶることをせず、低い者となられました。しかも、十字架刑による死という、当時最も卑しいと考えられていた死を受け入れてくださいました。こうして、完全に低くなられたイエスを、御父はこれ以上ない高みへと上げられた、というのがこの箇所の一つの中心メッセージとなっています。

「へりくだり」とか「謙遜」ということについては、以前、ずいぶん深く考えさせられたことがあります。それは、イタリアに留学しているときのことだったのですが、欧米で生活する日本人のほとんどがぶつかる壁の一つに、彼らの文化の中にある自己主張の強さということがあると思います。日本人は、どちらかといえば、面と向かって自己主張はせず、相手の立場や考え方を考慮して、一歩引くのを美徳としています。一方、欧米の文化は、国によって違いがあるとはいえ、はっきりと自己主張をすることが求められる文化です。イタリア人の中で生活していた私は、このことでずいぶんやりきれない思いをさせられました。相手のことを考えて一歩引いてしまうと、そこにずかずかと踏み込んできて自分のことばかり主張している、こっちのことは何も考えてくれない、何というエゴイズムなのだろう、そんなことがだんだんと鬱積してきて、ついにこらえ切れなくなり、友人のイタリア人を捕まえて、自分の思いをぶつけました。すると、逆にこんなことを言われました。「相手のことを思って一歩引いてあげるとか、相手が何を考えているのかにも配慮してあげるとか言うけれども、その人がまだ自分の考えを言ってもいないのに、何を考えているのか知って配慮してあげることができるのかい。その人にも自分の意見を主張する権利があるんだ。相手が自分の望みを言う前から、その人のことを考えてあげることができるなんて、それはずいぶん傲慢な話だ。思い上がりもはなはだしいよ」と。私としては、お前たちには謙遜さがまったくない、と言いたかったのに、逆にこちらが傲慢だと言われてしまったわけです。

この友人の言葉には、いろいろなことを気づかされました。特に、相手に譲るという自分の態度がほんとうに謙遜さから出てきたものだったのかどうか、ということについて大いに考えさせられました。そもそも、相手のためと言いながら、相手のイタリア人がこちらの思いどおりに動かないことに対して、私は腹を立てていたわけです。相手のために一歩引くとき、相手も自分と同じように一歩引いてくれることを無意識のうちに要求していたのです。結局、相手のことを考えるどころか、自分の考え方、人との接し方に相手を無理やりはめ込もうとしていたのです。そして、それを「謙遜」と呼んでいたのです。

私たちは、「謙遜」とか「へりくだり」をどのように実行しているでしょうか。捨てることのできないプライドや自分の考え方、スタイルといったものがあって、そこに抵触しないかぎりでの「へりくだり」という場合がほとんどではないでしょうか。相手に自分を認めてほしいし、自分の生き方を尊重してほしいという思いが、常に心のどこかにあるのではないでしょうか。

ところが、キリストは神の子としての名誉にこだわらず、私たちのために十字架刑を受け入れてくださいました。神の子として正当に扱われることを要求せず、私たちがキリストに科したことすべて(十字架に伴うあらゆる苦難)を受け入れてくださいました。これが、キリストの「へりくだり」です。人びとの救いのために、どのようなことがあっても自分を完全に無にして捧げることこそ、キリストの「謙遜」なのです。

そして、主の栄光に満ちた復活こそは、私たちがキリストに従って人びとの救いのために徹底的にへりくだり低くなるとき、どれほどの高みにまで引き上げられるかということをはっきりと知らせてくれているのです。主の死と復活を祝いながら、キリストのへりくだりと栄光の神秘のすばらしさに心から浸り、キリストのへりくだりに倣う決意を新たにいたしましょう。

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