主よ、信じます 四旬節第4主日(ヨハネ9・1~41)

中学生や高校生のころ、視力は裸眼で1.5くらいありました。眼鏡も不要で、とても快適でした。それが年齢とともに低下し、最近では0.2か0.3くらいにまで落ちてしまいました。視力が低下するのはとても不便だなあと実感します。それが生まれつき目が見えない状態だと、もっと不便だと思います。そんな逆境を乗り越えて、歌手になったり、ピアニストになった人もいます。その域に達するまでには、生来持っていた才能もあるのでしょうが、それ以上に本人の並々ならぬ努力もあったことでしょう。

ユダヤ人の社会の中で、目が見えなかったり、病気や不幸であることは、両親や先祖、また本人の犯した罪の結果だと信じられていました(民14・18、詩編79・8、エゼ18・20参照)。そうした背景で、福音に登場する生まれつきの盲人の立場に立って考えれば、彼自身、自分が抱えている盲目の状態に、罪意識を感じたのではないでしょうか。

病気は罪の結果だと思われていた時代にあって、イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と語ります。否定的な言い方ではなく、「神の業がこの人に現れるため」と語り、積極的な姿勢を示します。それまで、とても肩身が狭い思いをしていた盲人でしょうが、イエスの言葉によってどんなに励まされたことでしょう。

目が癒されていく過程はとても不思議です。この盲人はシロアムの池で安息日に癒されていきます。癒しの方法として、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目に塗っていきます。今の時代からすれば、とても奇妙な治療方法です。私たちにとって「唾をする」仕草は、気持ちがすっきりしない時や軽蔑的な態度をとる時に行なったりします。そんな仕草をイエスは生きるものに変えていきます。

私たち人間の理解を超えて、神の業がこの盲人に豊かに現れていきます。

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