みことばに信頼するという種 四旬節第1主日(マタイ4・1〜11)

私がいる修道院の近くに、幼稚園があります。朝、子どもたちは、お母さんやお父さんに連れられて幼稚園に行っています。子どもたちは、夕方になるとまたお母さんやお父さんが迎えに来てくれることを知っていますので安心して、幼稚園に行くことができます。ここには、親と子という信頼関係があるからではないでしょうか。

きょうのみことばは、イエス様が悪魔から誘惑にあう場面です。みことばは、「イエスは霊に導かれて荒れ野に行かれた。それは悪魔によって試みられるためであった。」とあります。イエス様は、神の子であるのにもかかわらず、おん父の霊に導かれて、「悪魔に試みられるために」荒れ野に行かれたのでした。この箇所は、とても不思議で理解に苦しむのではないでしょうか。私たちでしたら、苦しむことを知りながら誘惑が多い危険な所に自分の子どもを連れて行くということはしません。ただ、「かわいい子には、旅をさせよ」とか、「獅子は、わが子を千尋(せんじん)の谷に落とす」という言葉があるように、社会の辛さや苦しさを若い時から経験させる、という意味であえて親が自分の子どもに苦労をさせるということもあるのかもしれません。それは、親と子の信頼関係があるからなのでしょう。イエス様は、おん父のみ旨に忠実でしたし、おん父を信頼し愛されていましたので、荒れ野で何が起こったとしても、すべておん父に委ねられたのでしょう。

イエス様は、荒れ野で40日40夜断食をされ、空腹を覚えられていました。そんな時に「試みる者」が近づいてきます。「弱り目に祟り目」という言葉がありますが、私たちは、疲れている時や落ち込んでいる時に限って、困難な問題が起こってきます。イエス様は、この断食が終わった時に、私たちと同じように「空腹」を感じられていたのです。そして、悪魔もイエス様が「空腹」を感じられたのを待っていたかのようにイエス様に近づき、「もしあなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」と試みます。この悪魔の誘惑は、イエス様にどのように響いて来たのでしょうか。もし、私たちがイエス様の立場だったとしたら、「あっ、そうだ私は神の子だ。石をパンに変えるくらい簡単にできる」とまんまと誘惑に負けるかもしれません。創世記に書かれてある蛇の誘惑に負けた人の姿は、私たちの弱さと言ってもいいでしょう。

しかし、イエス様は、悪魔の誘惑に対して、「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る言葉によって生きる」と答えられます。イエス様は、「あなたの神、主が導かれたこの40年間の荒れ野の全行程を思い起こしなさい。……主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに教えるためであった。」(申命記8・2〜3)という箇所を用いられます。私たちは、イエス様が答えられた「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る言葉によって生きる。」ということだけに注意を向けがちですが、実は、その後の「あなたに教えるためであった」という言葉を忘れてはならないのではないでしょうか。

悪魔は、イエス様に対して「もしあなたが神の子なら」ということばを使います。この言葉は、イエス様が十字架にかけられた時に「もし神の子なら、自分を救ってみろ。」(マタイ27・40)と言われたのを思い出されます。イエス様は、これから宣教を始められる前に悪魔の誘惑にあわれ、「もし神の子なら」と言われ、また、十字架上で生涯を終えようという時にも同じ言葉をかけられます。これは、イエス様のご生涯を通していつも「響いていた言葉」ではないでしょうか。イエス様は、決して自分のために【奇跡】を用いられませんでした。いつも苦しんでいる人、悲しんでいる人のために【奇跡】を用いられていました。もし私たちでしたら、「あなたが『親なら』、『教師なら』、『医者なら』、『経営者なら』、『司祭なら』、……できるはずだ」という誘惑に対して、どのように対応するでしょう。イエス様のこのお姿は、私たちの生活を振り返る時に一つのヒントになるのではないでしょうか。

イエス様は、悪魔の誘惑にいつもみことばを用いられて答えられます。それは、「神の口から出るすべての言葉によって」という言葉のとおりにすべて「みことば」を使われます。みことばは、おん父の【愛の言葉】です。イエス様は、ご自分の言葉ではなくおん父の言葉を使われたのでした。私たちは、ついつい「『私がこの問題を解決しないと』、『私がこの人を助けないと』」と、【自分が】という思いが出てしまいます。悪魔の誘惑は、私たちの「自分が……しなければ」という気持を利用します。きょうのみことばは、私たちが生活の中で受ける様々な誘惑に対して、どのようにすればいいのかを気づかせてくださることでしょう。私たちは、イエス様のお姿に倣い、自分の力ではなく、どんな時にもおん父の「みことば」に信頼して歩むことができたらいいですね。

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