日本の信徒発見の聖母

3月17日に、私たちは日本の教会の歴史にとって記念すべき日を祝います。それが「日本の信徒発見の聖母」です。

フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えたのが1549年。さまざまな困難や妨害もありましたが、宣教師たちの熱心な働きが実り、キリスト教信仰は短期間のうちに日本に広まっていきました。しかし、それとともに信仰とは直接関係のない多くの問題とも結びついて、間もなく迫害の歴史が始まりました。宣教師は国外に追放され、信徒は捕らえられて厳しい拷問を受けました。日本26聖人の殉教はそんな中で起こりました。江戸時代になってからも、キリスト教徒に対する厳しい取り締まりは続き、対外的には鎖国政策がとられ、新たな宣教師の入国は絶望的となりました。1637年に島原の乱が起こってからは、取り締まりはますます厳しくなっていきました。キリスト教徒にとっては、このような時代が約250年もの間続いたのです。

19世紀半ばになり、欧米諸国の圧力により外国との通商が再開されると、禁教令は続いていましたが、外国人居留区に彼らのための教会が建てられるようになりました。最初の教会は横浜に建てられ、その後1865年に長崎にも教会が建てられました(大浦天主堂)。その1か月後の3月17日に、教会内に置かれた聖母マリアのご像を見た数名の人々が見物人を装ってプチジャン神父に会いに来ました。そして自分たちも同じ信仰を持っていることを告げました。彼らこそ、あの旧信徒たちの子孫だったのです。

250年もの間、厳しい取り締まりに耐え、司祭のいない中で本質的な信仰を守り通した信徒たちがいることは、すぐに世界に発信され、大きな驚きと喜びを与えました。長崎の各地に隠れ住んでいたキリシタンたちも、話を聞いてプチジャン神父に会いに来ました。残念ながら、取り締まりの中でこれほどのキリスト教徒が信仰を守っていた事実は、当局を激怒させ、大規模な迫害が起こり、数千名もの信徒が捕らえられてさまざまな地域に流され、拷問を受けました。しかし、彼らの信仰と迫害の中での忍耐こそが禁教令の廃止とキリスト教信仰の自由を生み出したのです。

厳しい禁教下で彼らが長い間信仰を守り続けることができたのは、もちろんまず第一に彼ら自身の不屈の信仰に帰せられるべきでしょう。しかし、同時に宣教師たちが迫り来る司祭不在の時代のために、明確な教えとそれを伝えていく制度を定着させていったことも大きな要因だったと言えるでしょう。実際、キリシタンの仲間内では役割がしっかりと受け継がれ、キリスト教の根本的な教義のほかに、聖母マリアへの崇敬、司祭の独身制、ローマ教皇の首位権など、プチジャン神父が彼らの信仰をカトリックの信仰と認めることができるような教えを正確に伝えていたのです。また、彼らが典礼暦を受け伝え、忠実に守っていたこともわかっています。

さて、今回はルカ福音書8・11‐15の「種を蒔く人のたとえの説明」を取り上げることにします。ここでは、4‐8節で述べられた「種を蒔く人のたとえ」について、イエスご自身が説明を行なっておられます。たとえの中では、さまざまな場所に落ちた種の様子が描かれています。道端に落ちた種、石地に落ちた種、茨の中に落ちた種、種の成長は少しずつ伸びていきますが、どれも実を結ぶまでには至りません。ところが、最後の種は良い土地に落ち、百倍の実を結びます。ここで、たとえは終わっています。

最初の3種類の種が実を結ぶことができないという描写は、読者に「はたして実を結ぶ種はあるのだろうか」という疑問を起こさせます。しかし、同時に話が進むにしたがって種の成長が大きくなっている事実は、「いつか実を結ぶにちがいない」という希望をも与えます。ところが、最後の描写は、この希望を大きく上回るものです。単に実を結んだだけでなく、百倍もの実を結んだと述べられるのです。この「百倍」という意味は、一つの種に対して百の実というより、通常の実り(一つの種は多くの実を結ぶので、その多くの実)の百倍という意味でしょう。マタイ福音書やマルコ福音書は三十倍の実や六十倍の実についても述べていますが、ルカ福音書は百倍の実とだけ記すことによって、通常の実との格差が読者の心により強く刻まれるよう意図しているようです。

このたとえは、神の国の実現について考えさせます。この世の中で、神の国は必ずしも実現しているようには見えません。いくら宣教という種蒔きをしても、種のまま踏みつけられたり、食べられたり、せっかく芽が出ても枯れてしまったり、成長しても覆いふさがれてしまったり……。はたして神の国は実現するのだろうか、そのような疑問を感じさせます。しかし、神の国は必ず実現するのであり、しかも私たちの想像をはるかに超える形で(「百倍の実」)実現するということを、たとえは述べたいのでしょう。希望の見えない中で、神の国の力に信頼して歩み続けるように、たとえは招いているのです。

イエスは、このたとえをそれぞれの人の信仰の歩みとして理解し、説明しておられます。種は神の言葉です。この神の言葉は、さまざまな人の中に蒔かれます。しかし、どのような人に蒔かれるかによって、神の言葉の成長の度合いは変わってきます。み言葉を聞くものの、悪魔に心を開いてしまうため、大切なみ言葉が奪い去られてしまう人たち、喜んでみ言葉を受け入れるものの、試練に遭うと身を引いてしまう人たち、またみ言葉を聞くものの、人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれてしまい、実を結ぶことができない人たち。すべての人にみ言葉が与えられているのです。しかし、これらの人たちは実を結ぶことができません。注意したいのは、成長の度合いはさまざまであるのに、どれも実を結ばないという点で同列に置かれているという点です。ある人は種のまま終わり、ある人は芽が出るところまで行き、ある人は一定の成長を遂げています。しかし、どれも実を結ばない、つまり救いに到達することのない人たちであるということです。

これに対し、立派な善い心でみ言葉を聞き、よく守り、忍耐した人たちは百倍の実を結ぶのです。つまり、ここで求められているのは、成長して実を結ぶような信仰を培うということです。たとえ、み言葉を受け入れたとしても、それだけでは実を結びません。み言葉を受け入れ、何らかの芽を出したとしても、試練に負けてしまっては実を結びません。どんなに成長しても、思い煩いや富、快楽に負けてしまっては実を結ぶことができないのです。受け入れるだけでなく、「よく守り」、最後まで「忍耐」することが大切なのです。

実を結ぶ信仰とは、単にみ言葉を受け入れることの宣言だけでなく、さまざまな試練に耐え、誘惑や過ちに敢然と立ち向かい、その中でゆるぎなく堅固に歩み続けることなのです。それは決してたやすいことではありません。終わりが見えている苦難なら耐え忍ぶこともできるでしょう。しかし、多くの場合、この信仰の忍耐はどこが出口なのかすら見えないものなのです。しかし、それでも耐え忍ぶ者には想像することすらできない実が与えられるのです。この意味で、禁教下で信仰を守り抜いたキリシタンたちの模範は私たちを大いに力づけてくれます。彼らは耐え忍んだだけでなく、自分が生きている間にこの実が結ばれなくとも信仰を捨てなかったのです。いつか必ずこの世でも百倍の実が結ばれることを信じ、希望して耐え忍んだのです。250年もの間にわたって……。

彼らの模範に私たちも倣いたいと思います。確かに私たちの時代は、信教の自由が保証されており、外面的な迫害はないかもしれません。しかし、私たちも一人一人言葉にすることのできない苦しみの中を歩んでいます。時には、それに負けそうになることもあるでしょう。しかし、百倍の実に希望を置き、耐え忍びながら、信仰を成長させることにいたしましょう。

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