受難の主日

受難の主日から聖週間が始まります。フィリピ2章6〜11節は受難の主日のミサの第二朗読で読まれるだけでなく、この日の詠唱や聖金曜日の詠唱でも歌われ、聖週間の中心メッセージの一つを織り成しています。この箇所は、キリストによる救いの神秘を、へりくだりと従順という視点から説明しています。そこで今回は、「御父への従順」というテーマについて考えてみることにします。

神への従順(そしてこれに対立するものとしての神への不従順)は、聖書全体を貫く大きなテーマの一つとなっています。神は人間を創造し、命へと招きましたが、人間は初めから神の命令に逆らいました。これが原罪の物語です(創世記3章)。以後、神は契約を結んだり、律法を与えたり、多くの指導者や預言者を送って、人間が神に立ち返るように、神に再び従うように招き続けられました。

ところが、罪の傾きを持った人間は、どうしても神に従順であり続けることができませんでした。どんなに立派な王や預言者も、どこかで神に逆らって自分の望みを行ってしまうのです。そこで、神はついにご自分の独り子を送られました。神の子が人となり、人として死ぬまで徹底的に神に従順であり続けたのです。それを端的に示すのが十字架の死です。十字架の死に伴う苦しみも痛みも蔑みもすべて受け入れて、イエスは御父への従順を貫きました。このイエスを、神は栄光へと上げられたのです。こうして、私たち人間も、キリストに生かされることによって神に従い続け、救いの栄光へと達することができるようになったのです。

しかしながら、神の望みに完全に従い尽くすことこそ救いである、というメッセージは、私たち人間にとって必ずしも簡単に受け入れられるものではないようです。人間には自由が与えられているのに、なぜ神の言うことを聞いてばかりいなければならないのだろうか……。心のどこかで、神に従順であることを自由に対する束縛と考えてしまうのです。突き詰めていくと、神に従うことが、自分のやりたいことを圧し殺して初めて成り立つことになってしまうのです。

ときどき、こんなことを言う人に出会います。「毎日曜日、ミサに行かなければいけないのですか。たまには、好きな所にでも行って、骨休みをしたいのですが」。信者であれば、たぶんだれでも一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。でも、こんな言葉の裏にも、どこか神に従わなければならないという重荷から逃げ出して自由なことをしたいという気持ちがあるように思えるのです。

そもそも、私たちはなぜ神に従おうとするのでしょうか。ここで皆さんに、何かを習熟したいと思うときにどうするかを考えてもらいたいと思います。芸術やスポーツなど、どの分野であっても、まず良い師匠やコーチにつくことから始めるのではないでしょうか。そしていったん師匠やコーチを決めたら、その人の言うことや練習プログラムに徹底的に従うのではないでしょうか。つらく厳しい道であっても、本当に大成したいと思うなら、必死になってついていくことでしょう。それを「束縛」とか「重荷」とか感じる人はいないと思います。この人についていけば大丈夫ということを確信して、自らの意志でもってついていっているからです。目的を達成するために、喜んで師匠やコーチの言葉に忠実に従うのです。

私たちは、「救い」という目的を目指して歩んでいます。そのための最高の師匠は父である神です。この方が私たちを創造したからです。私たちが救われるためにどうしなければならないか、一番よく知っているからです。この方は私たちを束縛するためでなく、救うために招いてくださるからです。イエスは、そのことを確信していたからこそ、喜んで御父に忠実に従いました。十字架の死に至るまで従い続けました。こうして、イエスは栄光へと上げられました。このイエスの救いを見た私たちも、御父を師と仰ぎ、御父の言葉に徹底的に従うことこそ救いに至る道であることを確信しました。だから私たちは、義務や束縛からではなく、喜んで自由にこの御父に従うのです。

受難の主日にあたり、私たちの御父に従う姿勢を見つめ直してみましょう。御父に従う心が、いつも確信と自由と喜びに満ちたものでありますように。

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