愛に向かう教えという種 年間第6主日(マタイ5・17〜37)

私たちは、禁止されればされるほど、やってみたいという誘惑に駆られるのではないでしょうか。大人は、様々な物事に対して危険が安全かということを分かっていますが、幼い子どもたちは、いろいろなことに興味を持っていますから、親が「これは、してはダメよ」と言ってもやってしまいます。このことは、大人になってもあまり変わりませんが、「分かっているのだが……」と思いながらも行ってしまい、後で後悔したり、自己嫌悪に陥ってしまったりします。

きょうのみことばでイエス様は、律法に対して具体的な教えを人々に伝えています。イエス様は、「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ。」と言われます。イエス様の教えは、律法学者やファリサイ派の人たちの教えとは、違うように人々から思われていたのかもしれません。それは、イエス様の周りについて来た人々は、律法学者やファリサイ派の人たちから蔑まれ、罪人というレッテルを貼られた人たちでした。彼らは、イエス様の教えを聞き、癒されることで、「イエスが律法学者のようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」(マルコ1・22)と思ったでしょうし、この方は、他のラビ(先生)とは違うと思ったのではないでしょうか。イエス様は、そのような彼らの心の中に気づかれたのでしょう。そのため、あえて「……廃止するためではなく、成就するために来たのだ。」と言われたのでしょう。

きょうのみことばの中でイエス様は、「あなた方は聞いている通り、……。あなた方に言っておく。……」と何度も繰り返されます。イエス様は、まず、人々が子どもの頃から生活の中で刷り込まれるように教えられていた様々な【律法】を用いられます。彼らにとって、それらの言葉は、身近なものだったでしょうし、これを破ることは、人々から【罪人】というレッテルを貼られ、ますます窮屈な生活が彼らを待っていたと言ってもいいでしょう。イエス様は、おん父から頂いた【律法】を改めて「成就するために来た」と言われ、彼らが教えられていた【律法】に対しての考え方をより身近なものとして伝えられます。イエス様の教えは、ある意味律法学者やファリサイ派の人たちよりも厳しいと言ってもいいかもしれません。イエス様は、「あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消え失せることはなく、ことごとく実現するであろう。」と言われ、律法を守ることの大切さを教えられます。さらに、「律法学者やファリサイ派の人々の義に勝るものでなければ、あなた方は天の国に入ることはできない」と言われます。さて、イエス様は、ここでも前に伝えられた「八つの幸せ」にもあります【義】という言葉を使われます。人々は、「義に飢え渇く」「義のために迫害される」という言葉を再び思い起こしたことでしょう。では、イエス様が教えられる【義】とは、また、成就される【律法】とは、どのようなものなのでしょう。

まず、イエス様は、「あなた方も聞いているとおり、昔の人は、『殺してはならない。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられていた。しかし、私はあなた方に言っておく。……」と言われます。彼らにとっても、いまの私たちにとっても「殺人」は、大きな罪ということには変わっていません。私たちの日常生活の中でも「殺人」は身近なものではありませんし、誰も「好き好んで、あの人を殺してやろう」と常に思っている人もいないでしょう。そのため、イエス様について来た人々も「私は人を殺していません」と思うことで、この【律法】を守っていると胸を張っていたのではないでしょうか。しかし、イエス様は、「兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける。……」と言われます。イエス様が言われる言葉は、人々にとって新鮮に聞こえたことでしょうし、「耳が痛い」ことだったのはないでしょうか。「ばか者」や「愚か者」という言葉は、私たちも使っていますし、「怒り」の感情も湧いてきます。イエス様のこの教えは、私たちにとっても、反省させられる言葉ではないでしょうか。

イエス様は、何度も「あなた方は聞いている通り、……。あなた方に言っておく。……」と繰り返し言われます。それらの教えは、私たちの生活の中で、身近に陥ってしまう“罪への傾き”ではないでしょうか。イエス様は、「『殺人』『姦淫』『離婚』『偽りの誓い』などに対して『日常生活の中で頻繁に行われていない』ということで安心してはいけませんよ」と人々に対して、また、私たちに伝えているのではないでしょうか。イエス様がみことばで伝えられている教えは、私たちを【縛る】ことではなく、人々を【愛する】ための教えと言ってもいいでしょう。きょうのみことばから、私たちは、イエス様が伝えられる「愛に向かう教え」をゆっくり味わうことができたらいいですね。

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