聖ペトロ・ダミアノ司教教会博士

聖ペトロ・ダミアノ司教教会博士の記念日は、元来2月23日でした(2月22日から23日にかけての夜に亡くなったため)が、第二バチカン公会議後になされた典礼暦の見直しにより、2月21日に移されました。

ペトロ・ダミアノは、1007年にイタリアのラヴェンナで生まれました。子どものころに両親を亡くしますが、兄ダミアノの尽力のおかげで、勉学を続けることができました。最初はラヴェンナで、ついで、ファエンツァ、そしてパルマで勉学を修め、おそらく1035年ごろにフォンテ・アヴェッラーナの隠棲修道院に入りました。その後、司祭に叙階され、しばらくしてから聖ロムアルドの伝記を執筆しました。ロムアルドは、カマルドリ修道会の創始者で、ペトロ・ダミアノによる伝記執筆の約15年前(1027年)に亡くなっていました。ペトロ・ダミアノは、同じくラヴェンナの出身であったこのロムアルドの隠遁的思想に大きな影響を受け、その土台の上にキリスト教的理想を築き上げていきました。

1043年には、ペトロ・ダミアノはフォンテ・アヴェッラーナ修道院の院長に就き、ここで隠遁的修道生活の考えに基づいた刷新を進めていきます。彼は、聖ベネディクトの目指した共同体的修道生活を尊重していましたが、隠遁生活こそが修道生活の理想であるとの考えを持っていました。

興味深いことに、世俗から離れた隠遁生活を目指したペトロ・ダミアノは、隠遁生活を超えて、修道生活全体、そして教会生活の刷新に尽力することになります。隠遁的修道生活がキリスト教的生き方の頂点であるとすれば、その土台となる教会生活全体の刷新なしに修道生活や隠遁生活の刷新は成り立ちえないということなのかもしれません。ペトロ・ダミアノは、特に、当時の教会に蔓延していた2つの問題、すなわちシモニア(司祭職を乱用した収益活動)と司祭の不法な女性関係を根絶しようと努めます。彼はまた、1057年ごろ、ローマ近郊にあるオスティアの司教(および枢機卿)に任じられます。その後は、枢機卿としてローマ教皇を助けながら、さまざまな問題を解決するために教皇使節として各地に派遣され、教会内の対立、特に修道院の自治を侵害するような対立の解決のために各地を奔走します。そして、ラヴェンナの大司教とローマ教皇との対立を解決するために赴いていたファエンツァで、1072年2月22日から23日にかけての夜に帰天するのです。

聖ペトロ・ダミアノを荘厳に祝うミサでは、ヨハネ福音書15・1-8が朗読されます。この個所では、キリストとわたしたちとの関係がぶどうの木とその枝の関係にたとえられています。キリストは「まことのぶどうの木」(15・1)、わたしたちは「その枝」(15・5)です。ぶどうの枝はぶどうの木につながっていることによって、養分を受け、実を結びます。そのように、キリストにつながっている人は実を結ぶのです。一方で、木につながっていない枝は、養分を受けることができず、枯れてしまいます。そのように、キリストにつながっていない人は「外に投げ捨てられ枯れ……集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」(15・6)のです。

しかし、キリストとわたしたちとの関係はこのぶどうの木と枝の比喩を超えています。キリストにつながっている人は、単に実を結ぶだけでなく、「豊かに実を結ぶ」(15・5)のです。キリストのいのちはかぎりなく豊かなものです。だから、キリストから養分を受ける者は、常に豊かに実を結ぶことができるのです。一方で、キリストにつながっていない人は、「何もできない」(同)のです。

しかも、ここで強調されているのは双方向的関係です。「わたしにつながっていなさい」(15・4)と言われるだけでなく、それに続いて、「わたしもあなたがたにつながっている」(同)と言われています。15・5でも「人がわたしにつながっており」の後、「わたしもその人につながっていれば」と言われています。ぶどうの木と枝の関係であれば、枝が木につながっているかぎり、木も枝につながっているはずです。だから、「木が枝につながっている」ことは言う必要がありません。しかし、キリストとわたしたちとの関係はこれとは異なります。キリストがわたしたちにつながっていてくださらなければ、いくらわたしたちがキリストにつながっていても、豊かな関係は生まれないのです。一方通行的な関係ではなく、互いが互いに主体的に結びつく関係こそが、豊かな実を結ぶのです。

また、この個所では、「キリストの言葉」が重要な意味を持っています。「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」(15・3)。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば……」(15・7)。キリストにつながっているということは、キリストの言葉が常にわたしたちの中にあって生き生きとはたらいているということです。単なる知識や教えとして頭の中にあるのではなく、生きた者のように内側からわたしたちを突き動かすのです。

聖ペトロ・ダミアノは、隠遁的修道生活のうちに、このキリストとの生きたかかわりの実現を求めました。しかし、キリストの言葉に生かされ、キリストの言葉に突き動かされるようになったとき、彼は修道院の建物の中にとどまるのではなく、広く教会の中を巡り歩きながら、キリストの教会全体の刷新と平和の実現に奉仕するよう導かれました。だからといって、彼は隠遁生活の理想を放棄したのではありません。むしろ、教会への奉仕の中で、隠遁生活の理想であるキリストとの完全な一致を生きていったのです。そして、ヨハネ福音書にあるように、このキリストとのかかわりは確かに豊かな実を結んだのです。

わたしたちの生活の「形態」はさまざまです。表面的にそれがどのようなものであれ、それがキリストとの深いかかわりから生み出されるものであれば、その人の生活はキリストのみ心にかなうものです。そして、そこには必ずキリストからの豊かな実が生じるはずなのです。

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