ルルドの聖母

教会は、2月11日に「ルルドの聖母」を記念します。1858年に、フランスのルルドという小さな町の洞窟で、ベルナデッタ・スビルーという一人の少女に聖母マリアが現れました。ベルナデッタ自身、最初は、自分に現れたこの女性がマリアであるとは分かりませんでした。この出現の出来事は、教会内で次第に大きな議論を巻き起こしていきました。果たして、それは本当にマリアの出現なのかどうか、この出来事を教会はどのように受け止めればよいのか……。しかし、この議論は思わぬ形で終焉しました。名前を尋ねたベルナデッタに対して、マリアは自分が「無原罪のおん宿り」であると答えたのです。この名前を聞いた教会当局者たちは驚愕し、神秘的な出現の事実を認めざるを得ませんでした。それは、わずか数年前に教義宣言されたばかりのマリアの神秘を表す言葉であり、少女が知っているはずのない言葉だったからです。

マリアは、ベルナデッタへの出現を通して、人間に対する神の愛の大きさを示し、罪の悔い改めと愛のわざへと人々を招きました。聖母マリア出現の出来事とメッセージは、またたく間に広まり、多くの人がこの地を訪れるようになり、そして出現の地には大きな教会が建てられました。今も、ルルドには全世界から巡礼者が集まってきます。マリアによって示された神の愛は、さまざまな目に見える実りをも生み出しました。ルルドへ来て、その水に触れた多くの人が病気をいやされたのです。このため、前教皇ヨハネ・パウロ2世はこの日を「世界病者の日」と定めました(「世界病者の日」については、このコーナーのバックナンバー「世界病者の日にあたって」もご覧ください)。

ルルドは、キリストによる救いの力がいかに大きなものであるか、一人でも多くの人がこの救いの力にあずかることをマリアがどれほど望んでいるかを示す場所です。神の愛が、希望のない人を包み込み、苦難に打ちひしがれている人を慰め、行き詰まっている人を励まし、真の救いとは何かを垣間見せるのです。マリアが、キリストの母として、今も、そして絶え間なく、このためにはたらき続けていることを、ルルドでの出現の出来事は力強く物語っているのです。

このマリアのはたらきと、それに呼応する人々の信仰とは、ヨハネ福音書2・1-11のカナの婚宴のエピソードに見事に描き出されています。多くの人は、このエピソードから、「母であるマリアの願いを、イエスは必ず聞き届けてくださる」という教えを導き出します。しかし、興味深いことに、この個所の中で、マリアはイエスに何も願っていないのです。マリア、イエス、そしてイエスの弟子たちが出席した婚礼の宴で、ぶどう酒が足りなくなります。マリアは、イエスにこの事実を告げるだけです。「ぶどう酒がなくなりました」(3節)と。何かを願っているわけではありません。ぶどう酒が必要だとも言っていないのです。マリアは、すべてをイエスの行動にゆだねているのです。事実さえ告げれば、イエスがこの場に最もふさわしいことをおこなってくれるであろう。そう信じていたのでしょう。

だから、マリアはイエスの否定的な言葉(4節「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」)にもひるむことがありません。どのようなことを言われても、イエスがおこなうことに信頼をしています。それだけではありません。マリアは、召し使いたちにも、この信仰を共有するように招きます。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(5節)と。イエスの言葉に耳を傾け、これに従うこと、それが最もすばらしい道であることをほかの人にも告げるのです。

召し使いたちは、このマリアの招きを受け入れます。彼らは、イエスの言葉どおりに行動します。しかし、現実的に考えれば、この召し使いたちの行動は驚くべきことなのです。イエスの命令は、「水がめに水をいっぱい入れなさい」(7節)、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」(8節)というものでした。この時点では、水がぶどう酒に変わったことは、まだ告げられていないのです。それが述べられるのは、9節になってからです。「世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした」(9節)。召し使いたちは、水がめに入れた水をくんで、世話役のところに持って行くように命じられ、そのようにしたのですが、彼らは当然、それが「水であること」を知っていました。よもや、それがぶどう酒に変わっているなどとは想像もしていなかったはずです。ぶどう酒がないと言っている中で、水を持っていくわけです。「ばかにしているのか」と激しく叱責されてもしかたがない状況です。持って行った召し使いたちが責任を問われるのです。ヨハネ福音書は、念を押すかのように、「こ〔れ〕がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていた」(9節)と述べています。召し使いたちは、いったい、どのような思いで自分たちがくんだ「水」を世話役に持って行ったのでしょうか。

やはり、彼らはマリアの信念に動かされたのでしょう。マリアの断固とした信頼の態度を見て、自分の仕事を賭してでも、イエスの言葉に従うことを決意したのでしょう。目に見えることを越えて、神秘的な出来事が起きていることに信頼したのでしょう。わたしは、ここにこそ、マリアのすばらしさ、マリアの思いにこたえる人々のすばらしさを感じ取ることができるように思うのです。マリアは、みずから信じただけでなく、その信仰を分かち合うよう人々に訴え続けています。そして、このマリアの呼びかけにこたえて、悲観的に思われる状況でもイエスへの信頼を実現しようとする人々も後を絶ちません。ルルドは、まさにこのことの証しと言えるのです。

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