聖アガタおとめ殉教者

日本の教会では、聖アガタおとめ殉教者を2月6日に記念します。(「日本の教会では」と記したのは、全世界の教会では2月5日が聖アガタの記念日、2月6日が日本26聖人殉教者(ローマ典礼暦の呼称は「聖パウロ三木と同志殉教者」)の記念日だからです。)

聖アガタの生涯については、詳しいことは明らかではありません。彼女は、3世紀半ばのデキウス帝による迫害によって、若くしてシチリア島のカターニアという町で殉教したとされています。その殉教に関しても、さまざまなエピソードが伝えられていますが、伝記によって異なる点もあり、どこまでが史実に基づくものなのか、今となっては確かめようがありません。もちろん、これは史実かどうかわからないということであって、史実ではないという意味ではありません。確かなことは、聖アガタに対する崇敬と信心が、同じシチリア島の聖人であるルチアとともに、かなり古くから広まったという事実です。5世紀の終わり、あるいは6世紀には、ミサの中心である奉献文(現在の「第一奉献文」)に名前が加えられ、現在に至っています。アガタの生涯と殉教が、多くのキリスト者の心に強く刻まれ、彼らの生活の励みとなっていたことがうかがえます。

アガタの殉教にまつわるエピソードでは、通常、2つの出来事が強調されます。一つは、彼女に信仰を捨てさせようとした統治者側が、ある女性にアガタを預け、世俗の価値観を強要しようとします。しかし、アガタは信仰を捨てることなく、ついには乳房を切り落とされてしまいます。アガタを描いた絵は、多くの場合、このエピソードを用いています。また、燃える炭火の上を転がされたアガタが、聖ペトロの取り次ぎによっていやされたというエピソードも有名です。アガタを保護の聖人とするカターニアの町は、エトナ山の噴火とそれにともなう災害に悩まされていたので、このエピソードは住民に大きな励ましを与えたに違いありません。

 さて、聖アガタおとめ殉教者を荘厳に祝う場合、年間週日の聖書朗読ではなく、固有の朗読として、たとえば第一朗読に一コリント1・26-31、福音朗読にルカ9・23-26を用いることができます。今回は一コリント1・26-31を読み深めることにしましょう。

 コリントの共同体は、さまざまな点で内部争いをしていました。特に、ギリシア文化で重視されていた「知恵」を基準にした競争、順序づけがなされていました。彼らは、教会の指導者たち(ペトロ、パウロ、アポロなど)のだれがもっともすぐれているかについて言い争い、その指導者のもとにいることを誇らしく思っていたようです。そこでパウロは、神の救いの計画が、人間にとっては愚かとしか思えない神秘をとおして実現されること、言い換えれば、人間の価値基準が神の価値基準ではないことを明確にしようとします。

まずパウロは、キリストの十字架によって神の計画が実現されたことを説明します(1・18-25)。十字架は、どう考えても、人間的には「つまずかせるもの」、「愚かなもの」ですが(23節)、信じる者にとっては「神の力、神の知恵」です(24節)。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」のです(25節)。だから、「世は自分の知恵で神を知ることはできません」(21節)。神の知恵であるキリストを信じることによってのみ、神を知ることができるのです。

次に、パウロは同じ事実をコリントのキリスト者たち自身の体験に訴えて理解させようとします(1・26-31)。彼らの中には、「人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」(26節)。「ところが、神は……世の無学な者を選び、……世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれ」(27-28節)ました。コリントの町は、交易で栄えていた町で、そのため多くの奴隷や港湾労働者を必要としていました。彼らの多くは、貧しく、身分の低い者であり、学問を学ぶ機会を持つこともできませんでした。コリントでは、このような人たちの中から多くのキリスト者が生まれたようです。彼らは、人間的な価値基準(知恵、富、家柄、職業など)を中心とする社会の中では、見下げられた存在でした。しかし、神は人間的な価値基準を超えて、彼らをキリスト者としてお選びになったのです。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい」(26節)。パウロはこのように呼びかけます。「召されたときのこと」と訳されている言葉は、直訳すれば神の「招き」、「召命」、「呼びかけ」です。神があなたがたを力と知恵に満ちた言葉で呼んでくださったからこそ、人間的に価値の低い者とみなされていたあなたがたがキリスト者とされたのではないか。それなのに、今なぜ、人間的な価値基準でお互いを評価し、人間的にすぐれていると思われるものを追い求めようとするのか。パウロはそう訴えたいのです。

キリスト者の強さ、価値は、すべて神から来るもの、神の呼びかけをとおして神ご自身から与えられたものです。人間の知恵深さや学問、身分、富ではないはずです。キリスト者の強さは、「わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられた」キリストにあり、「神によって……キリスト・イエスに結ばれ」たことにあります(30節)。だから、人間的な価値を追い求めたり、誇ったりするのではなく、主キリストをこそ誇るはずなのです。

アガタをはじめとする殉教者の強さもまた、ここにあります。彼らは、人間的に見て、必ずしも知恵深い者、強い者だったわけではありません。アガタは、まだ若いおとめにすぎませんでした。しかし、「神の知恵」であるキリストをよりどころとしていました。だから、どのような人間の力にも屈することはありませんでした。彼女自身が強かったのではなく、彼女の中にはたらく「神の知恵」、「神の力」キリストによって、アガタは殉教の栄冠に達したのです。

ところで、神の知恵と人間の知恵の相違による問題は、わたしたちの信仰生活の中にも深く入り込んできます。コリントのキリスト者たちは、まさに教会の中で、どの指導者・牧者につくかという点で分派争いをしていました。また、神から受けた賜物に対して優劣をつけていました(12章以降)。信仰生活の中に人間的な価値基準を持ち込んでしまったのです。しかも、多くの人はこのことが引き起こす問題、神の計画を覆してしまうという問題に気づいていませんでした。すべてをキリストの十字架と復活の中で示された神の計画に照らして判断することは、決してたやすいことではありません。わたしたちも目に見えるもの、見栄えのよいもの、計算できるものに重きを置いてしまうことがしばしばあります。教会の中でさえです。だからこそ、「十字架の言葉は、……わたしたち救われる者には神の力です」(1・18)とはどういうことなのかを、日々の生活の中で常に見つめていきたいと思います。「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるため」(21節)に。

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